009




エレファント



生まれつき無感動な僕は、
傷つけるという言葉の意味がわからずにここまできた。

もちろん傷つけられることもわからない。
だから、癒すことや癒されることも知らない。


紙しばいを見たことがある。
題名は忘れた。話の流れも忘れた。
子供向けにしては絵がリアルで、その印象で今も覚えている。
象が出てきた。
飼育係もでてきたから動物園の話だったかな。
痩せこけた象の絵。
先生が言った。
「これは本当にあった話です。」

僕の記憶はそこで途切れている。


つきあってくださいと言われて、はいと答えたことがある。
ある日その女の子は大学の食堂で突然泣いた。
僕はカレーを食べていたスプーンを置き、『ごめん』と言った。
『ごめんなんて思ってないくせに』と言われた。
だから『じゃあなんて言えば』と言った。
彼女は泣き止んで、もう何も言わなくなった。
その出来事の前後がどうしても思い出せない。


最近よく見る夢がある。
腐った象が横たわっている。ハエや羽虫が飛んでいる。
目の前には鮮やかな色をした林檎が転がっている。


別に悪い夢じゃない。
ただ少し目覚めがよくないだけだ。


そういえば僕はよく象を見る。
街で、店で、駅で、車道で。
夢ではない。現実に。
象は人と建物の間をゆっくりと歩いている。
せわしなく車が通る車道をのんびりと歩いている。
混んでいる店の中も、音を立てずに人と人の間を縫って歩く。
僕以外、誰も気付かない。


ある優しい子は、僕のこの無感動な性格を
面白いといって笑ってくれた。
その可愛くない性格、最悪ね。といって笑った。
少し救われた気がした。


僕だけじゃない、みんな辛い思い出を引き合いにして、
美しい物語を作りたがる。
例えば僕は過去に修復できないほどの強い心の傷をうけた、
だから傷そのものを避けるようになった。
それでこんな自分ができあがった。
なんてことを考えてみたけど、残念ながらそんな過去は全く思い当たらない。

付き合っていた彼女は潤んだ目で僕を見ていたけど、
その向こう側に広がっている妄想を強要されてるようで気分が悪かった。


ところで、象の話だけど。
今日僕は渋谷のスターバックスから混雑した交差点を見下ろしていた。
そしたら右の道路から不意に象が現れた。
交差点に向かってゆっくりと進んでいく。
けれどごちゃごちゃとゼブラ路地を行き交う人々はまるで気にしない。
僕だけが息をのんで様子を見守っていた。
3階建てぐらいの大きさのある象がのっそりと目の前を横切っていく。
ガラスを挟んで円い大きな目がすぐそこにあって、僕を見ているのを感じた。
あまりにも大きくて、口を開けたまま固まってしまった。
緩やかな背中のカーブが通り過ぎ、
しっぽがガラスから消えて見えなくなってしまうと、
僕は急いで下の交差点を覗き込んだ。

でも誰も踏み潰されていないし、パトカーも集まってない。


どうしてだろう。
いつも象は僕の目の前を通り過ぎるだけだ。
誰も気付かない。
そして僕はこれからも、
誰も傷つけないし、自分も傷つかない。

「それは、残酷だな。」

無意識に僕はそうつぶやいて泣いていた。
涙が止まらなくて、両手で顔を覆った。
でもなぜ泣いてるかは、いつまでもわからなかった。











[PR]
# by Dasein100-1 | 2004-10-28 02:26 | 009 エレファント

008




パブロフドックとハムスター



僕の友達は、
観覧車が好きな鼠と、
占い師で網タイツの猫だ。

不運だ。
どうして僕にはマシな知り合いがいないのだろう。
かくいう僕も、赤ジャージを着た柴犬なのだけど。

鼠が言うんだ。

「昨日さ」

「地震あったよね」

「オレずっと」

「これ乗って回っ」

「てるから全然」

「関係ない」

「けどさ」

アイツとしゃべれるのは、
観覧車が一番下にくる数秒だけで、
いちいち回転するのを待ってなきゃならない。めんどくさい。
僕が何かを言おうとするときには、
もう通り過ぎて回り始めるから、会話にならない。

まぁいいや。いつもこんな感じなんだ。


秋だなぁ。空が高いってよく言うけど、ホントだ。
風が吹くと寒くて身震いする。
僕はジャージのジッパーを一番上までひきあげ、
首をすぼめた。


いつもの場所に、小さな台と『占い』という看板がでてる。
猫は水晶に手を置いて、つめに息を吹きかけていた。
暇そうだ。
「ちょっと。」
僕に気付き、猫が手招きをする。
目を細めて僕をじっくり眺め、ため息をつく。

「残念だわ。言いたくないけど。聞きたい?」
聞きたくないけど、どうせ言うだろ。
「うん。何。」
「あんた、今週あんまり出歩かない方がいいわよ。よくないことが起きるわ。見てよ、これ。」
マニュキアで光るつめで水晶を指す。
僕には逆さに映る猫と犬の顔しか見えない。
「ね、わかるでしょ。変なもやもやが見えるでしょ。でもこれぐらいなんてことないわよ。私なんかお金はなくなる、会えば喧嘩、週末は食あたり、らしいわ。」
猫は水晶に息を吹きかけ、きゅっきゅっと肉球で磨いて、
うっとりした目でその透明な玉を覗き込んだ。
そして、何度か一人で頷いてから僕の方を見た。
「ね。」
「ん?うん。」



僕にはろくな知り合いがいない。
煙草ぐらい吸いたくなるけど、
保健体育の教科書に載っていた汚れた肺の写真を思い出し、
結局吸わない。

さて、どうしよう。
新しいジャージでも買いに行こうかな。


駅に向かう道で、白いダウンジャケットとミニスカートの兎がチラシを配っていた。
「どうぞ~」
普段は無視するんだけど。
チラシには
『パブロフドックとハムスター』
とだけ書いてある。

この街に、歩いたことない場所があるなんて。
チラシを手に、地図に沿ってきてみると、
見たことのない店についた。
『パブロフドックとハムスター』

「いらっしゃいませー。」
小洒落た北欧風の内装に、クラシックが流れている。
受付にいたセキセイインコが首を傾けて挨拶をした。
真っ白い肌に金髪。チークの強調されたメイクが愛らしい。
その上つぶらな目をしている。可愛い。
上品な香りがする。
地図と店の名前しか記されてなかったから、
新しいパブかと思ったけど、どうやら違うようだ。

「あの、駅前でチラシもらって。」
セキセイインコが僕に笑いかける。
「ありがとうございます。こちらへ。」
中へ通された。
高そうなソファーには、
スーツを着たヤギと光るものをジャラジャラつけたパンダがいた。
一体何の店だ。
ジャージの犬なんて場違いなんじゃないの。

「お待たせしました。」
奥のドアから眼鏡をかけたハムスターが現れた。
人のよさそうな中年ジャンガリアンだ。
ヤギとパンダが深く会釈をする。慌てて僕もそれに合わせてしまった。

「いやいや、リラックスしてください。
それにしても秋も深まってきましたね。皆さんはいかがお過ごしですか?
ワタクシは今朝あまりに冷えるものですから、
パジャマの上に新聞を体に巻きつけて暖をとっていたのですよ。
そしたら妻に『ハムスターじゃないんだから!』って怒られましてねぇ。」

ヤギとパンダが声を揃えて笑う。
ドアの前に立っていたインコも笑っていた。
今の話、笑うポイントだったのか。

「ところで早速ですが、皆さんパブロフドックはご存知ですか?」

ヤギとパンダが顔をあわせて、『さぁ』『存じません』とか言い合っている。
僕はインコに視線を送る。暇さえあれば彼女を見ているのだが、
目が合うと決まって笑いかけてくれる。
なんて可愛い子なんだ。

「20世紀初期、旧ソ連のイワン・ペトローヴィッチ・パブロフという学者が条件反射説というものを提唱しました。それはこのような実験により、実証されたものです。」

インコがつかつかとハムスターに歩み寄り、真後ろの白い壁にポスターを広げて貼った。
そこには変なヘルメットをかぶった犬が、餌を目の前に舌を丸出しにしている絵があった。

「彼は餌を与える時に必ず、メトロノームを鳴らすという実験を続けました。するとメトロノームを鳴らしただけで、餌はなくとも唾液が出るということを発見しました。これが条件反射です。この実験で、パブロフは一躍有名になりました。」

へぇ。
ヤギとパンダが大げさなリアクションをする。『ほぉ!』『まぁ!』
急に温厚なハムスターが大きな声を出した。

「皆さん!騙されてはいけません。この極悪人はこんな非情な実験で一人富も名誉手に入れ、英雄気取りです。許せますか、こんなこと許せますか!」

ハムスターがバンッとポスターの上から壁を叩く。
パンダが悲鳴をあげる。ヤギが拳を握り締める。
僕は驚いて背筋を伸ばした。

「君、被害をこうむった彼と同じ種として怒りを感じないか!」
すごい剣幕で話をふられて、思わず唾を飲み込み頷いてしまった。

インコがA4サイズの紙を配りだした。
「ワタクシ、こうした世の中の間違った風潮を改める運動をしています。
誰かがやらねばなりません。決して他人事ではありません。
ここから一緒に始めましょう。」

配られたペラペラの用紙には、なんだかワケのわからないことが書いてある。
動物実験断固反対、愛護教育推進活動…チャイニーズか?
文書のしめには

非営利団体『パブロフドックとハムスター』

いや、おかしいだろ。
このネーミングはおかしいだろ。

「活動支援一口5万円です。」
インコが微笑みかけてくる。
あぁ儚い恋だった。


僕は店をあとにした。
あのインチキ占い猫も、たまには正しいことを言う。
今週は家でガーデニングでもして過ごそう。
どうせ来週も、
観覧車の鼠に会いに行くぐらいしか予定はないのだ。



「ねぇ最近」

「見なかったけど」

「なにしてたの」

「オレずっと」

「これ乗って回っ」

「てるから全然」

「関係ない」

「けどさ」









[PR]
# by Dasein100-1 | 2004-10-25 01:44 | 008 パブロフドックと…

007



消失


頭が痛い。
昨夜のビールがまだ体に残っている。
あぁ吐きそうだ。でもこれに乗らなきゃバイトに遅れる。

ふらふらになりながら駅の階段を駆け降り、
閉まりかけた電車のドアに滑り込んだ。
最悪。もうダメだ。とにかく、座りたい。

席が埋まっている。
出席だけは厳しく取るくだらない授業のようだ。
車内は静かで、整列する人々には生気がない。

隣の車両に、一人分の空間が見えた。
電車が揺れるのと、脳が揺れるのとを、
必死でコントロールしながらその席を目指した。

いざ座ろうとした瞬間、
空いてるはずの席に先客がいた。
手に収まるほどの黒い物体。


ピストル


は?まさか。
いや、当然本物じゃないだろうけど。
なんで電車の座席なんかに。

両側はサラリーマンと学生で、
うまい具合に空間をあけたまま居眠りをしてやがる。
ピストルが置いてあるような席に、座ろうと思う奴なんかいない。
しかし今更、他の車両まで歩く元気はない。
とりあえずピストルが放置された席を目の前に、吊り輪につかまり立っていた。
この格好はかなり不自然だ。
それに二日酔いは増して悪くなっている。
だめだ、気を失いそうだ。

どうせ子供が置き忘れたおもちゃだろう。
よけて座れば問題ない。
席に浅く腰掛けた瞬間、ひどい眠気に襲われた。


全身が溶けるような 眠りだ



シューッ

電車がホームに滑り込む瞬間目が覚め、立ち上がった。
新宿だ。あぶない、寝過ごすところだった。

「あの。」
開いたドアに向かって歩き出すと、後ろから声がした。
居眠りしてたサラリーマンだ。
青白い顔に、上目遣いで俺の顔を見る。

「あの、大事なもの落とされましたよ。」
席に放置されたピストルに視線を移す。
あぁ、そういえば。そんなものが。

「いや、それ俺のじゃないんです。」
「…そうですか。」
見ず知らずの人間に話しかけるなよ。
ちゃんと無関心を装ってくれ。それが常識だ。
俺は足早に車両から外へ出ようとした。
背後から再び声がした。
「あの、やっぱり大事なもの落とされましたよ。」
「は?」

完全に振り向く前に、俺はひどい衝撃と熱い塊を背中に感じ、
ホームへ吹っ飛んだ。
ぐしゃという音がして、コンクリに接吻していた。

明るいメロディの発車音とアナウンスが入り、
身体の横を何事もなく人が行き交う気配がする。
そして電車の音が遠くに消えていった。

ホームに突っ伏したまま起き上がれない。
二日酔いの頭痛は治まったけど、なんか変だ。
生暖かい液体の中にいる。眼球が動かせない。

これはもしかして、アレか。
俺、死ぬのか。
突然過ぎやしないか。

霞んできた視界に、
無関心な人々に混ざって、髪と髭がからまるぐらい不精な爺さんが映った。
片足が湾曲し、不自然な歩き方で近寄ってくる。
徐々にすえたキツイ匂いが漂う。

「おい、どうした。」
顔を近づけて、覗き込まれた。
『いや、なんか体が変なんです。』
「お前は死ぬのかな。」
『さぁ。何がなんだかさっぱり』
爺さんは俺を持ってた杖でつついた。
その様子は目で認識できたが、体の感覚は全くなかった。
「お前が死んだらお前の財布もらってもいいかな。」
そう言ってケタケタと笑った。歯が2、3本しかなかった。
『ダメです。』
「器の小さいやつだな。」
『普通だと思いますが。』
爺さんは再び笑った。
「お前のものなど、もともと何一つとしてない。」
そしてジーンズから財布を抜いた。

聞こえるかどうかわからなかったが、つぶやいてみた。
『せめて財布は返してください。』
爺さんは振り返った。
笑ってなかった。
金だけを抜き、俺に財布を投げて返した。
肩にぽそっとそれが落ちた音がしたが、
感覚はなかった。

視界が狭まってきた。
唇が硬直し、もうつぶやくこともできない。

なにか入ってたっけ。
財布に、なにか大事なものが。
あぁそうだ。
俺を証明するプラスチックの板や、
俺を入れていた箱を開けるための鍵や、
俺を繋いでいる人の顔が映ったシールや、
それと、それと

あとは


どうせいつかは なにもかも

だから

おれのものは もともと なにひとつとして ない

だいじなものなど なにひとつとして


思考は曖昧になり巡回して消失した。









[PR]
# by Dasein100-1 | 2004-10-22 01:14 | 007 消失

006



コーヒー


もう忘れてしまったけれど、確かあの辺りにカフェがあったんだ。
静かで、居心地がよくて、快適な場所だった。

決まって、4人の客がいた。

丸眼鏡のヒツジの席はいつも右の隅。
若いクロウサギは左の窓際。
外国帰りのラクダはカウンター。
そして僕はいつもバルコニーにいた。

ヒツジは経済新聞を広げ、
クロウサギは恋愛小説を読み、
ラクダはマスターに旅の話をしていた。
そして僕は文章を書いていた。

ヒツジは5時に、
クロウサギは7時に、
ラクダは閉店まぎわに帰った。
そして僕はラクダの背中を見てから、
マスターに礼を言って立ち上がった。

コーヒーがおいしかった。
正直、僕は苦いものがダメで、
シロップとクリームの瓶を交互に3回傾けてからじゃなきゃ飲めなかったけど、
あの店のコーヒーが好きだった。

顔を合わす程度で、
言葉は一言も交わしたことがないけれど、
たまに無性に会いたくなる。

いま、
ヒツジはどんな仕事をしていて、
クロウサギはどんな恋をしていて、
ラクダはどんなところを旅しているのか。
マスターはまだどこかでコーヒーをいれているのか。



僕が10年間気を失ってる間に、店はなくなってしまっていた。

みんなはそんな店もともと無かったと言う。
そうかもしれない。
僕は10年間のうちに何もかも忘れてしまったのかもしれないけど、
コーヒーの匂い、シロップとクリームの感覚が残っている。


僕は後悔している。

もしもう一度、あの場所に戻れたら、
あの客達に
僕がどれだけあの店が好きなのか、一生懸命伝えようと思う。
きっとみんなびっくりすると思うけど、本当のことだから。

もしもう一度、あの場所に戻れたら、
二度と見失わないように、あの店のことをしっかり覚えておこうと思う。

ヒツジが眼鏡と新聞をたたむ5時。
クロウサギがため息をついて本を閉じる7時。
ラクダがボロボロの鞄を手にし、マスターが店を閉じる10時。

そして僕はまたバルコニーで文章を書きながら、甘いコーヒーを飲むのだ。









[PR]
# by Dasein100-1 | 2004-10-21 00:31 | 006 コーヒー

005








その白い腕には、赤と青の細い血管が透けてみえた。
それがあまりにも鮮やかで、
とっさにつかんだはずだったのについ離してしまった。
触ってはいけないものを触ってしまったような気がした。
そんな不自然な動作を無視して、
彼女は宙に浮いた自分の腕を蛍光灯にかざし、まじまじと眺めた。

「説明してあげようか?」
「…なにを?」
「ヒトの血がなぜこんな風に見えるのか。」

彼女はシマという。
恐ろしく華奢な身体をしている。
全ての色素が薄くて、
茶色くて柔らかい髪も、眉も、骨を撫でるようにしか生えていない。

「ヘモグロビンがどうとか、そういう話だろ?」
シマはその灰色の目を細めて、
世界中の人間を見下すような顔をした。
「貧相な思考ね。低俗。どうせ貴方も芋虫のまま腐って死ぬんだわ。」
国営放送の局員のように上品な声でそう言った。
そしてまた真っ直ぐ前を向き歩き出した。

すでに夜だった。
夕立のあとの匂いがした。
雑なつくりの歩道には、逃げ場を失った雨がところどころに小さなテリトリーを作っていた。

「靴ぬれるよ。」
「知ってる。」
足元で水が跳ねる。
シマはそのアンバランスな体を左右に揺らしながら先を歩いていた。
「知ってる。そのうち陸はほとんど無くなるってことでしょ。」
「陸?」
「海に飲まれて、陸が無くなる。足を載せられる場所はほんのわずかよ。」
夜の薄暗い街の中で、彼女の姿は切れかけの蛍光灯のようにぼんやりと浮かんでいた。


「陸が無くなるってことは境界線がなくなるってことよ。わかるでしょ。」
「わからない。」
「上か、下か。昇るか、堕ちるか。どっちだと思う?」
「言ってることがわからないよ。」





「だから、蝶よ。ヒトは最終的に蝶になる。」
「蝶?」
「肩甲骨が背中を突き破って空に向かって伸びて、羽になるの。」


急に目の前が明るくなった。前方から来る車のヘッドライトだった。
一瞬目が眩んだ。
我に返るとシマがすぐ横にいて、顔を近づけて聞いてきた。
「黒アゲハは何色?」
「黒。」
「貧相な思考ね。紫よ。方程式による正しい色。」
細くて白い腕が、そっと首に絡まる感触がした。
目の前に、鮮やかな2色の血管がちらついた。
「わかるでしょ?」
「わからないよ。じゃあ陸が沈むのはいつ?」
「もうすぐ。」

突然、皮膚を破るような音がして、
シマの背後から対角に2本ずつの長い骨が突出した。
その骨に沿って、薄い膜が揺れるようにして広がった。
羽だ。

そのとき、再び前方からやってきた車のヘッドライトにやられ、
僕はまた、目を閉じてしまった。
そして彼女の姿は消えていた。




次の日、高い空に紫色の蝶が舞っているのを見た。
その場所はここからとても遠くて、
見上げると眩しくて、胸が痛かった。

残念ながら僕は中途半端な生き物で、
飛ぶことはできない。
だから上でも下でもない場所を、
ぐしゃぐしゃに濡れた靴でただひたすら歩いた。









[PR]
# by Dasein100-1 | 2004-10-16 03:00 | 005 蝶

004




暇、その1(床と骨の接点)



床に寝るのが好きだ。
骨が、冷たくて硬い床の感触にぶつかるのがたまらない。
その音と振動を感じながら、寝る。

敢えて言うと、
死を認識できるのは眠りがあるからだ。
現実をつなぎあわせても、ストーリーなど完結しない。
眠りに挟まれて浮かんでいるだけなのに、実体があるかのような錯覚。
騙された場所にいる。
どんなに安っぽいイリュージョンよりも、
嘘。

肋骨の隙間から零れ落ちる砂のようなものだ。
皮も筋肉も内臓も、腐り果て、砂に変わり、
骨と骨の隙間を滑り落ちて床に沈む。



くだらない。
食事が済んだら、また寝よう。



そのうちこの身体は、
少しずつ絶対的な存在の質量が減り
いつか全てが風化して
暇と同化して
消えてしまうはずだ。


そんな風にして、ただ生き続けた。
意味を探すことに疲れた。
それで、何もしなくなった。


そしてある日
床と骨の接点に、黒い等身大の穴が開いた。
温度を失った体は、その空洞の中に静かにゆっくりと飲み込まれていった。










[PR]
# by Dasein100-1 | 2004-10-04 23:43 | 004 暇、その1

003








こんにちは、猫です。
名前はあります。
しかしいくつもあるので、どれが本当の名前なのか知りません。
まぁ僕には関係のないことです。

最近はまっていることは、コインランドリーの見張りです。
いつもじゃありません。
ある女の子が中にいるときだけです。
彼女の名はイツミです。
小さな女の子です。
あとのことはよく知りません。

僕はいつも、あのぐるぐる回るものは何だろうと思いつつ
『前島コインランドリー』の前を通り過ぎてたわけです。
イツミは最初、お父さんに手をひかれてやってきました。
小さな子がそこに入っていくのを初めてみたので、
僕は入り口から顔を出し中の様子をちょっと覗いてみてました。

2人はまず洗濯機の前に立ちました。
僕も洗濯機のことは知ってました。
木村さんちで痛い目にあったことがあるのです。
それいらい、少し苦手です。

イツミのお父さんは背の大きな人でした。
痩せていました。ヒゲがうっすら生えてました。

洗濯が終わると、2人は協力してぐしゃぐしゃした服を出し、
円いドアのついた機械に入れてました。
コインを入れると、それらはぐるぐる回りだしました。

それでようやくわかったのです。
お金をいれて、遊ぶ。
こういうの、丸橋ゲームセンターで見たことあります。
あんまり子供だけでしちゃいけないことです。
いつだか、渡辺さんちのカズキが怒られていました。

イツミは円いドアに顔をつけて、
いろんな色のシャツや靴下がぐるぐる回るのを
すごく楽しそうに見てました。
丸橋ゲームセンターはうるさいから大嫌いだけど、
これは楽しそうだなぁと僕も思いました。

それから3日後ぐらいに、
イツミが一人で歩いているのを見ました。
腕には大きなバックをぶらさげてます。
そっと後をつけると、イツミはコインランドリーに入っていきました。
僕はドキドキしてました。
誰かに見つかったらイツミは絶対怒られるからです。

椅子に登って洗濯機の中を覗きこんで、
少し重そうにしわしわの服を取り出すイツミは楽しそうでした。
小さな財布から百円玉を取り出し、
背伸びしてあのぐるぐる回すゲームをしている姿を
僕はじっと見ていました。
回転がゆっくりになり、完全に止まってしまってもイツミはしばらくそこを動きません。
やがて決心したように服を機械からひっぱりだします。
大きなシャツが何枚もあります。
大きな靴下もあります。
たぶんお父さんのをこっそり持ってくるのでしょう。
いけない子です。
でも、とても可愛い子なんです。


それから僕は、イツミがくると
コインランドリーの見張り番をすることにしました。
僕はイツミが怒られるのを見たくないのです。


だから、このことは
大人達には内緒ですよ。










[PR]
# by Dasein100-1 | 2004-10-04 22:13 | 003 猫

002




水槽



強い雨の音がする。
教室にはほとんどの生徒が残されている。
とっくに下校時間は過ぎているのに。
横からの風と雨に打ち付けられ、窓がガタガタと音を立てる。
台風かな。
消しゴムを投げあったり無駄話をしてたり、皆落ち着きがない。
私は席におとなしく座って先生を待っていた。
蛍光灯がはっきりしない白色で室内を照らす。
今日の体育、無くなってよかった。
ドッジボールなんて、正直だるかったんだ。
ぼんやり指先をいじっていると、不意に横で人が立ち上がる気配がした。
隣に座っていた男の子が急に帰り支度を始めた。
黒目が目立つ、賢そうな顔立ち。病的なぐらい色が白い。
華奢で、姿勢がどこかぐらぐらしている。

「どうしたの、先生まだこないよ。勝手に帰ったらきっと怒られるよ。」

その子は私の声に手を止め、
不安そうな表情で周囲を見回す。

「おれ、庭に水槽出しっぱなしてきたんだ。だから、こんな雨降るとやばいんだ。」
「水槽?魚飼ってるの?」
「やっぱりおれ帰る。早く帰らなきゃ。」

引き出しから乱暴にノートや教科書をカバンに詰め、
今にも教室から飛び出す勢いだった。
私はランドセルを背負った彼のTシャツの袖を引っ張った。

「ダメだよ勝手に帰っちゃ。魚なんだから雨ぐらい大丈夫よ。」

青白い顔が歪んだ。

「ばかじゃねえの。こんな強い雨に打たれたら溺れちゃうだろ。」

腕をぶんと振って、私の手を払った。
そして、走って出ていった。
椅子が倒れて、ドンっという大きな音がした。




私はその音で目を覚ました。
雨の気配がする。
みなれた1Kのシンプルな部屋。青いカーテン。
昨日散らかした雑誌がある。
どうやらここは現実らしい。
窓がガタガタと大きな音を立てた。
日曜の朝なのにこんな天気なんて。
もう一度ベッドに潜ろうとしたとき、携帯が鳴った。

リョウはビニール傘ひとつで来て言った。
「…なんか台風ってわくわくしない?」



ふたたび夢を見た。
雨が降っている。かなり強い雨だ。
私は魚になっていて、水槽の中で溺れていた。
もがいてはいたけど苦しくはなかった。
水の中から、キラキラした水面をずっと見ていた。
不確かな泳ぎで同じところをぐるぐると漂っているとき、頭上に影を感じた。
水面の向こうに、黒目の大きい男の子の顔が揺れて見えた。





白い煙が空中に浮いていた。
隣を向くと、リョウが暇そうに寝煙草をしていた。
「ねぇ、魚飼ってたことある?」
「ない。」
「一度も?」
「ない。魚だったことはあるけど。」
リョウは滅多に笑わない上に少し変わっている。
だからフザケているのか、そうでないのか全然わからない。
「いつ?」
「今の前。雨の日に溺れて死んだんだ。」

煙草をつぶして、無表情のままつぶやいた。

「だから、本当に今息をしているのか不安になるときがある。
 空気に溺れて窒息するんじゃないかと思う。」
「まさか。」
「呼吸の仕方を忘れるかもしれないから。」


「だからさ、こうやって確かめるんだよ。」

リョウはふたたび煙草に火をつけた。
水槽のような部屋の中に、その吐いた白い煙が漂い、流れた。










[PR]
# by Dasein100-1 | 2004-09-06 03:40 | 002 水槽

001




100-1%



たまに考えることがある。
電車の中。
街を歩いているとき。
友達と遊んで別れたあと。とか。
なんでもいい、そういうなんでもないときに。

パーセンテージ。
存在というものの割合。

身体はあたたかい。
リズムがあって、連続していて、
崩壊と構築をくりかえす。
その確かなものの中に自分は完全にいるのだろうか。

小さな頃、瞬間的に100%を感じることがあった。
100%の存在感は、0%という完全なる喪失感。
その感覚はいつも突然だった。
修学旅行のバスの中。
ぼんやり家で食事をしている時。
眠りにつく直前。
ふと訪れた。

いつかは自分も消えて無くなる。
そのことを考え出すととまらなかった。
ジェットコースターのように思考は走りだし回転して
消えた。

今思うと、あれは一種の遊びだったのだと思う。
あまりに本質的な遊び。

そんな遊びができなくなった今は、
少し欠けたままで生きている気がする。
悪い意味ではなく。
1%の非現実な余白を抱えて、
もしくはたった1%の存在で99%の虚無を忘れて。


適当な感覚だ。
そんなものだろう。

欠けているぐらいの方が、
楽だ。






[PR]
# by Dasein100-1 | 2004-09-05 02:37 | 001 100-1%