019




ジャム




あいつの手にはいつもジャムがついている。
でも、それがどうやら『魅力的』らしい。
オレンジのジャム。
僕にはわからない。


「どうも。」
と、爽やかに上げた手のひらにはジャムが。

「よろしく。」
と、にこやかに差し出した手のひらにはジャムが。

「愛してる。」
と、そっと背中にまわされた手のひらには


気に食わない。
その手についたジャムをあいつ自身の顔に押し付けて、
山崎の食パンを買ってきて、上から踏みつけてサンドイッチにしてやりたい。


そんな、僕に嫌われている彼なのだが、どうやらもてるらしい。
聞くところによると、
美人と噂の2組のジュディも、可愛い系の5組のマリーも
あいつのことが好き、らしい。


友達のK太に聞いた話は興味深い。
おとといの放課後、K太が部活を終えて駐輪場に向かう途中、
2組のジュディとすれ違ったそうだ。
彼女は美人特有のそっけない顔をして、綺麗な髪をふわふわ揺らしていた。
目を奪われているK太の存在を完全に無視して歩き去ったそうだが、

その唇の端には、オレンジのジャムがはみ出していたらしい。

そして駐輪場からふらふらと出ていく、
あいつの後ろ姿を見たそうだ。




何をしていたんだ。ひどく気になる。

いや、別にどうでもいいけれど。
だって、ジャムだぜ?
想像力をかきたてられるというか、なんていうか。
とにかく、ジュディはそれだけの女ってことだ。


僕はいつも焼きそばパンに人が群がる購買で、
流れに逆らってコールスローパンを買うような男だ。

思いつきで、
あいつのジャムに対抗してマヨネーズを手に仕込んだことがある。


「おはよう。」
爽やかな朝に、乳白色の輝きを放つ僕の手。
悲鳴をあげる女子ども。
やっぱり、その思いつきは間違っていた。
マヨネーズじゃなんでだめなんだよ。
教えてくれ。



まぁいいや。
ジャムだマヨだなんて話は、幸せな話だな。



僕がここまであいつのことを嫌うのには理由がある。
それはとても不都合な気持ちを伴う。

あいつの母親は頭がおかしくて、
自分の息子のことをトーストか何かのように思っている。
毎朝、毎朝。
虚ろな目で、息子の手のひらにジャムを塗りたくるのだ。
彼が抵抗しないのには理由がある。
自分のことを、トーストだと思っているからだ。


でも、あいつは家を出た瞬間に、自分がトーストでないことに気付く。
それでひどく混乱して、
ジャムだらけの手で女の子達に触れ、
自分の存在を確認するのだ。


僕があいつを嫌うのはとても自分と似ているからだ。



僕の母親は頭がおかしくて、
自分の娘を、男だと思っている。
毎朝、毎朝。
虚ろな目で、娘の私にアイロンした男物の制服を差し出す。
私が抵抗しないのには理由がある。
自分のことを、男だと思っているからだ。


けれど、家を出た瞬間に気付く。
男の制服を着た自分は、頭から爪の先まで女であることに。
自分の存在を確認する方法はわからない。


頭のおかしいあいつがもてるのは気に食わない。
私があいつと同じ制服を着なきゃいけないのも気に食わない。
あいつが私の顔にジャムを付けることなど一生こないのが気に食わない。



そういうありがちな、
ありがちな心境は柑橘系の甘くどろどろした液体になる。
ジャムのような。
それはいつも喉の奥の辺りでつかえていて、
苦しいけれど、それほど悪い気分じゃない。













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# by Dasein100-1 | 2005-03-12 02:33 | 019 ジャム

018




セブンスター




「屋上行く?」

屋上なんて、あったんだ。

「うん、あったよ。言ってなかったかな。」

知らない知らない。

「ちょっと煙草吸いにとか、空見たくなったときとかね、よく使うんだ。あと…」

あと?

「いや、なんでもない。まぁ、行ってみるか。」

うん。


鉄の匂いがする階段。
埃っぽくて、雑な造りのコンクリ。
重い扉。

ビルを改装したマンション、
多少不便でもここを選んだ隆也の気持ちがわかる。
こういうの好きそう。

「開けるよ。」


隆也の背中を見てると、小さな頃の自分に戻る。
後ろ姿のときだけ男らしい。
男女の双子なんて、うらやましいとよく言われるけど、
全然。
わずらわしくて仕方がなかった。

でも、お互い1人暮らしするようになってからは確かに。
隆也がいてよかったなと思うことが多くなった。

こんな風に辛いときに、誰かに甘えていいなんて。
そんな肉親がいるなんて、得してるのかもしれない。


「おおー、いい天気だ。」

扉から眩しい光が漏れてきた。
薄暗い場所からひょいっと外へ飛び出すと、初夏の空が真上に見えた。
綺麗だ。


「ちょっとそこ座ってみ。」

屋上にはいろんなものが転がっていた。
鉢植え、洗濯棒、壊れた自転車、ステレオ。
隆也が指したのは、小学校の教室にあるような木の椅子。

「はやく。」

なんで?

「練習させて。明日店長のチェックはいんだよ。」

隆也はいつの間にか商売道具のハサミを手にしている。
それをシャキシャキ鳴らしながらにこにこと笑う。
不安。
隆也は鼻歌を歌いながら、私に指定した椅子とは別に、
屋上の隅にあった車輪つきの椅子を持ってきた。
錆びついてぎしぎし言うそれの背もたれを抱えて座る。
本当に切るつもり?
ノーリアクションで突っ立ってる私に不満そうだ。
足で地面を蹴飛ばして、子供みたいに車輪をゴロゴロ言わせて滑っている。

「はやくーはやくー。」


隆也はしばらくばかみたいに私の周りをぐるぐると滑っていたけれど、
度が過ぎて、思いっきり椅子ごと転倒した。

「はや…く」

わかったわかった。


「やったね。耳、だしちゃっていい?」

隆也は美容師になりたいと言い続けて、
ホントになってしまった。
不器用なのに。
自分を知らないってのは怖い。

「大丈夫。安心しなさい。」

柔らかい水で、髪がしっとりと濡れる。
太陽の光が細かい水に反射して、きらきら光った。


いつの間に用意したの?霧吹き。

「あ、これね。園芸用。」

おい。


「真樹の髪は、ダメだね。がっさがさ。気ぃ使ってないだろ。」

うるさいよ。

「でもオレの色と似てるね。地毛だろ、茶っぽいの。」

そうだね。


茶色い髪がさくさくと細かくなり、顔の横でふわふわ舞った。
すごいね。
昔、隆也が図工で作ったものとか、ゴミにしか見えなかったよ。
ホントに。紙粘土とか、彫刻とか。
へったくそだったじゃん。
でも、すごいね。
隆也も美容師みたいに、髪の毛が切れるんだね。

「『みたい』じゃなくて、美容師だって。」

ごめんごめん。
あ、眠くなってきた。

「寝るなよ。耳切るから。」

眠いよ。気持ちよくて。
なんかさ、隆也のハサミ見てたらあれ思い出した。

「なに。」

うちにあった、わたがし作る機械。
お祭りの屋台にあるようなのをちっちゃくしたおもちゃ、あったよね。
粗目の砂糖入れて、割り箸つっこむとさ、
本当にわたがし出来るの。覚えてる?

「あぁー、あったあった。」

隆也のハサミにさ、ふわふわ私の髪がくっついてくの、似てない?
思い出したよ。
ふぅん、そうやっていろんな人の髪切ってあげてるんだね。

「まあね。仕事ですから。」

偉い。
私は誰にも何もしてあげてなかったな。

「・・・」

ただ、食べて、寝て、遊んで、終わっちゃった。

「真樹には、時間がなかっただけだよ。」

ううん、その「時間」の大切さに気づかなかったってこと。
鈍感だったし、ワガママだったし。
だから、このぐらいの長さの人生でちょうどよかった。

「そんなことない。」

そんなことあるって言え。もう戻れないんだし。

「…そんなことある。」

よし。
空、綺麗だね。
ん、プールの音がする。


「そうそう、すぐそこに小学校あるんだ。あぁ、今日プール開きなのかも。」


髪が軽くなる感覚。
隆也が髪を触る感覚。
空が見えるという感覚。
夏の始まる感覚。

とか。
本当はなにも感じない。ただ、その輪郭を覚えているだけ。
私はもう、隆也にも甘えちゃいけない。
なのに、だめだ。
この世界が好きだったから。


「出来た。うん、いいね。可愛い可愛い。なかなかいい出来だ。」

本当?

「おぉ、もちろん。」

鏡見せて。

「オレが可愛いって言ってるんだから可愛いよ。」

そうだね、信じるよ。
隆也ありがとう。

あぁ、子供達楽しそうだね。


真樹は椅子の上から霞んで消えた。







道路を挟んで少し低い建物の屋上にあるプールから、
子供達のはしゃぐ声と笛の音がする。
隆也は煙草に火をつけ、屋上の手すりに腕を載せた。
プールが見える。
水がゆらゆらと揺れて、光を散らしている。
夏か。
そうだ、祭りのわたがしが真樹は好きで好きで、
親にねだって買ってもらったんだったな。あの機械。
わたがし、そういえばよく作った。

隆也は、手すりに乗せた腕に顔をうずめた。


懐かしいなんて感情なんて、なければいいのに。







屋上に行くのは、
煙草を吸うためと、空を見るためと、記憶を巻き戻すため。

どうしようもならないことを、どうしようもならないけれど、
思い出して、忘れないようにするため。











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# by Dasein100-1 | 2005-02-20 21:51 | 018 セブンスター

017




目が覚めたらオレが天使になってました

(※014の続編)




「ううん、ん。」

目が覚めてしまった。
体じゅうがざわざわする。
わき腹を掻こうとしたら、ふわふわしたものを捕まえた。
オレはレースまみれの白い服を着ていた。

「えぇっと。…えぇ?!」

ひらひらした襟と袖。マンガでこういうの見たことあるけど。
オレが着てる。って、はぁ?!意味わかんねぇ。
スカートの中、サラサラの裏地が脚に巻きついていた。
女になってみたいなと思うことはあったけれど、
それは違う。こういうことじゃない。
昨日飲んだか…いや、飲んでない。
オレ、なんでこんな格好を?
無意識にしてたら洒落になんない。
むくっと体を起こすと、背中でバサッと音がした。
なんか付いてる。

羽だ。

気味が悪いが、自分で動かせる。
羽の動かし方なんて…いつ覚えたんだ。
あ、いやそんなこといったら腕の動かし方はいつ覚えたんだろうな。

背中に上から下から手をまわしても、
羽の根元には触れない。ちょうど肩甲骨辺りから生えてるようだ。


立ち上がり、スタンドミラーの前で一回転してみる。
えっと、これはつまり、天使だ。


この信じがたい状況、過去にもあったような気がする。
あん時はオレに羽が生えてたわけじゃないけれど、
目の前にそういう生き物がいた。

あのコの嫌がらせか?




ドンドンドン

あぁ、また、こういうときに来んなよ。

「ふじもとー。」

倉田だ。

ドンドン ドン

「寝てんの?ふじも」
「なんだよ急にくんな、帰れ。」

薄汚いドアを挟んで、天使の格好した男が立ってるだなんて
想像もしてないんだろう。

「いるんじゃん。開けて。」
「いや、あのね、人いるから。だめ。帰れ。」
「へぇー。あのさ、さっき道でコンタクト落としちゃったんだ。メガネ貸して。」
「お前さ、オレの話聞いてる?」
「今日大事な試験なのよ。急いでんの、オーディションすぐそこの会場。早く。」
「あー。倉田は行っても行かなくても同じだって。」

沈黙

やばい。
地雷を踏んでしまった。

「ちょ、ちょっと待ってろ。」

メガネ メガネ

シルク裏地が脚に絡まって、自由がきかない。
自然とちょこちょことした女走りになってしまう。
動くとスカートの裾がふわふわと揺れる。
レースがひらひら舞う。
こんな姿、認めない。
オレじゃないオレじゃない。

またこういうときに限って、メガネが見当たらない。
積んでたCDが崩れて床に広がる。
雑誌も、マンガも、セリフを走り書きしたメモも、
全部ごっちゃになって机を覆っている。

あああ

あ、そうだ。羽使おう。
ハタハタハタハタ
これすげーや。ホントに浮いたよ。オレ。


天井ぎりぎりまで浮かび上がり、
上から部屋を見下ろしてみた。
変な気分だ。幽体離脱とかって、こんな感じなんだろうか。

メガネは部屋の隅に、リモコンと一緒に転がっていた。
宙に浮いたまま手を伸ばし、メガネを拾った。

天使も悪くないな。
便利だ。



「ほら、メガネ。」

ドアを開けると、倉田は腕時計を触りながらその場を離れようとしていたとこだった。
目を丸くしてこっちを見る。

「なんだよ、早く取り来いって。急いでるんだろ?」

その見開いた目に、だんだん不審の色が現れた。
なんだよ。

あー。


バタン
オレは急いでドアを閉め、ポスト口からそろそろとメガネを差し出した。
しかし数秒後、カッカッカッと走り去るミュールの音がした。




メガネをつまんだ手をポストに差し込んだまま、
オレは玄関に跪き、うなだれた。
フワフワのスカートが履き散らかした靴の上に着地した。
倉田は受かる見込みのない劇団の試験を終えた後、
オレのこの姿を皆に言いふらすだろう。
最近面白いことねぇなーとか言ってた浅野とか、思い切り食いつくだろうな。
あぁ、終わった。


そのとき、スッと指の先からメガネが離れた。
あれ?アイツ、戻ってきたのか。
そうか、結構本気なオーディションっぽかったしな。
ここで恩売っとけば、言いふらすこともないかもしれない。


とりあえず、もう一度寝直そう。
夢かもしれないし。
ふわふわの白い服と自分の体をぐしゃぐしゃと布団に突っ込んで、
無理矢理目を閉じた。




「ううん、ん。」

目が覚めた。
ジャージ上下のオレがいた。
そうだよな。そうそう。

よし、コンビニに飯でも買いに行こう。
ぐしゃぐしゃと頭をかき、立ち上がった。
そのとき、ガガガガと携帯が床で震える音がした。

メールだ。倉田からだ。
件名がない。アイツにしてはめずらしい。


[藤本、病院行った?]

は?

[なんで?元気だよ。]

[あたま。そこまでヤバイと思わなかった。]


夢じゃ、なかったのか。
言い訳する「訳」ひとつも思い浮かばない。


[メガネは?持ってったんじゃないの?]

[はぁ?バカ。しね藤本。変態。]


どんまい。オレ。




コンビニに着いたが、弁当食う気にはなれない。
煙草買って帰ろう。
自動ドアが開く直前、雑誌の並ぶガラスの向こう、
黒縁メガネの可愛い女の子が立ち読みしてるのが視界に入った。
あのメガネは。
そして肩から少しはみだしてハタハタと動く白い物体は。

たぶん彼女は穴の空いた汚いジーンズを履いてるんだろう。



オレは思わず開いた自動ドアを無視して、
そっと来た道を引き返した。




天使ってやつは、性格が悪いらしい。














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# by Dasein100-1 | 2005-02-15 01:05 | 017 目が覚めたらオレが天使に

016




変身、その1



ふらふらする頭を右手で支えて、洗面台に立つ。
柔らかい髪が好き勝手に目の前に落ちてくる。
邪魔。無造作に掴んで、ざっくりと後ろに流す。
現れた顔。それにしても、美人。
我ながらに。


でも正直言うと、見覚えがない。
誰だこの人。
鏡の前に立ったとき、それが自分じゃない可能性がどこに?


睫毛が異様に長い。
視界の内側、存在を感じさせる高い鼻。
首を捻ると、美術の石膏モデルのような横顔が鏡に映る。
目の窪み、直線的な鼻梁のライン、薄い唇、尖ったあご。

この顔は、初めて見る。
二日酔いで、ありえないほどブサイクになることはあっても、
こんな願ってもない事態は25年間、無い。



確か昨日は会社帰りに友達と飲んだんだ。
度数の高いカクテルに久々に楽しくなってしまって、ぐでぐでに酔った。
それで。それで?


そのべろべろの状態で美容整形なんとかクリニックに行ったとか。
いやその前に、勧められた「ジャマイカ・ジョー」に翌日美人になる薬が混入してたとか。
違うな。エミコに頭をはたかれたときに、顔の中央が突出したとか。

…冷静になろう。


一番可能性が高いのは、これは「夢」だということ。
夢だと気づく前に目が覚めるのが普通だけれど、
そうじゃない日が一日ぐらいあってもおかしくない。


ちょっと待って、
目が覚めるからこそ、それが夢だとわかるわけで。
さっき私は目が覚めて、それで顔を洗おうと思って鏡の前へ…


ああ、もういい。
どうせ夢なら楽しもう。さあどこへ行こう。

服に着替えて気がついた。
体のサイズは同じだけれど、細かい部分が今までと違う。
肉のつき方とか、脚の形とか。
完全に別人だ。私の体じゃない。


「あのう。」

ストッキングに片足を突っ込んでるときに、床から声がした。

「はっ?!」

変な生き物がいる。
ペットボトルのふたを立てて置いたぐらいの大きさ。
の、作業服をきたおっさんだ。

私は小さい悲鳴をあげ、バランスを崩して床に転んだ。
地にすれすれの視線からよく見ると、
作業服のおっさん(小)は申し訳なさそうな表情をしていた。

「あのう、すみません。いろんな手違いがありまして。誠に申し訳ありません。」
「手違い?」
「はい。ボデーとブレインの差し違いが。」

ボデー?ボディのこと?
だとしても何を言ってるのかわからない。

「私のせいです。いや、まぁ、そうかもしれない、とまでは言えませんが。」

どっちだよ。

「なんでもいいけど、ちゃんと説明してください。」
「つまりですね、じゃ、とにかくついてきてください。」

おっさんが歩くと、テケテケテケテケという効果音がなった。
ストッキングをちゃんと両足にフィットさせてるあいだ、
彼はまだ2mも進んでなかった。

「で、どこまで行くんですか?」
「隣の部屋です。」
ドアは少し開いていた。
どうやって入ってきたのか聞こうとしたけれど、
おっさんは腰の辺りを拳で叩きつつ、息を切らせて歩いていたから
なんだかしゃべらせるのがかわいそうでやめた。
体が別人になったことに比べれば、そんな疑問はたいしたことじゃない。

隣の部屋もカギがかかってなかった。
そっと中を覗き込むと、ソファーにもたれて寝ている女が見える。
とても見覚えがある。
どうやら私らしい。

「入って入って。」

おっさんに催促されて、おそるおそる部屋にあがる。
自分の姿が近づくにつれ、その異変に気付く。
昨日の服のままだらしなく体を投げ出して、
ソファーからはみだした首をがっくりと後ろに流している。
その顔を覗き込む。
白目を剥いて、口も半開き。なんて間抜けな。
いや、そんなことより。
額に3×4cmくらいの長方形の空洞ができている。

「なにこれ。」



「もう大丈夫ですから。いやぁ、本当にお待たせしました。」

床から、おっさんの声がした。
しかしそれは、私に向けられた言葉ではなかった。
いつの間にかおっさんの隣にまた妙な生き物がいる。

銀色で、飛び出しそうな黒目で、ひょろひょろとした…あれだ、あれ。
ロシア人に両側から手をひかれてぶらぶらと浮いている写真で有名な。
おっさんと同じサイズのそれが居る。
表情の無い大きな目が私を見上げている。


「つまりね君は今日こっちのボデーを担当するはずだったのに、
 私が部屋を間違ったためにややこしいことに。申し訳ない。」

おっさんは私に体から出てくるように指示した。
体から出るって。

「そんな、そんなことわかりません。」
「いやいや、今までもちゃんとやってきたでしょう。」
「まさか。体から出る話なんて聞いたことないし。そんな方法習ったことありません。」
「君、人には言えないあんなことやこんなことを、学校で全部習ったというの?」

銀色の生き物が黙って私を見上げている。
おっさんが少しいらついたように私をせかす。


「だからね、こう眉間にしわをよせて、ぽんっと出ればいいのよ。ぽんっと。」


なんで逆上がりができないの?
なんで自転車に乗れないの?

そんな風に責められた気分だった。
私は言われたとおり眉間に力をこめ、自分が体からでるイメージを必死で描いた。




カパッ

額で音がした。
頭の中がどぉーんと一回大きく揺れ、
そのあとは妙な解放感で、世界がひとまわり大きくなったように見えた。



「はい、じゃあ君はそっちね。」

焦点を合わせると、
さっきの銀色の生き物が巨大化して目の前にいる。
隣のおっさんも。
後ろを振り返ると、ものすごく大きな顔面があった。
さっきまでの私の顔。
白目を剥いて、額に長方形の空洞がある。
そこに扉がついていて、ぱかぱかと宙で揺れていた。

銀色の生き物が私の横を素通りし、走ってその空洞に飛び込んだ。
中から扉をしめ、消えた。すぅっと扉の枠が肌の色に馴染む。
次の瞬間、ぶるっとその大きな顔面が震え、
綺麗な黒目がスロットのように目蓋の裏から降りてきた。
そして何事も無かったかのように立ち上がり、
服についた埃を払って部屋を出て行った。



「あっちのボデー、ブレイン留守にしてしばらく経ってるから最初気分悪くなるかもしれないけど、頑張ってね。じゃ、私はこれで。手違いがありまして申し訳ありませんでした。」


おっさんは業務的な丁寧なおじぎをして、どこかへ去った。
そのテケテケテケテケという足音が消えるまで、私は呆然としていた。



あとは残された体に近づき、
穴の空いた額に飛び込むこと以外、することはなさそうだった。



いまいち納得がいかなくて、首をかしげながらソファーをよじ登った。
そのとき、テレビの横に立てかけてた全身鏡に、
自分の姿が映るのを見た。





ソファーにしがみつく、銀色の妙な生き物がいた。















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# by Dasein100-1 | 2005-01-29 00:07 | 016 変身、その1

015




真昼




光が目に痛い。
粒子が身体に刺さる。
この感じ、苦手なんだ。
刺さった粒子に、ぴりぴりと表面から剥がされていくみたいな。
このまま全てを剥がされて、精神の裏の裏まで光に曝されて、
消される。

なんてね。

ちゃんと時計を見て外にでたつもりだったけれど、
ドアの向こうにあった、予想外にも真昼の空。
まったくもって迷惑。

慣れない目に真っ白だった世界がだんだんと色づき、現れた。
空が青い。




昼が嫌いだ。
なぜって、その押し付けがましさにイライラする。
晴れた日のその強い光が、
カワイイカワイイって言われたい女のようで。
そういうの苦手なんだ。


だからたいがいの時間を暗い箱の中で暮らしている。
一応キッチンもユニットバスもついているけど、
気の利いたソファーとかテレビなんかは無い。
遮光カーテンさえあればいい、それは人ひとりを容れるだけの箱だ。
箱。
特に光は要らない。
水のように揺らめくブラックライトが、最低限の物の在りかを示す。

狂っちゃいないよ。
変な想像をしてもらっては困る。
いわゆる「CG恋愛性癖肥満系ひきこもり男」ではない。
断じてノーマル、痩せ型。

つまり、昼が嫌いなだけだ。あとは普通。
坂本がトマトを嫌うのと同じだ。
木村が尖がったものを嫌うのと同じだ。
ただ確かに、昼が嫌いだという奴には他に会ったことがない。

まぁ、とにかく。嫌なものは嫌です。


あぁ眩しい。
鮮やかな景色に目がしばしばした。
俺はしばらくドアに背中を預けてぼーっとしていた。


真昼か。



光は絶対的です。
逆らえないものには逆らいません。
オトナですから。
箱に帰ることにします。





そのとき、大して感度がいいとも思えない視覚のアンテナが、
その端に不自然なものを認識した。
昼をテーマにした完全な小説があったとしたら、
その229ページ目にある小さな落書きのような
そんな些細な違和感に、体が反応した。

閉めかけたドアから再びすり抜け、フェンスに手をかけた。
マンションの5階から見る景色はいつも90パーセントが空だ。
向かいには同じ5階建てのビルがあり、
晴れた東京の、建築模型のような眺めは遮られている。
視線を、
空。ビルの屋上。5階。4階。3階。2階と降ろしていく。
2階あたりで気がついた、違和感の犯人は街灯。
点いている。
ぼんやりとした白い光が浮かんでいる。
道路に並ぶ街灯をひとつずつ目で追ってみた。
その先も点いている。その先も。
なんだろう、不自然だ。
地面からここまで伝わってくる空気がどこかがおかしい。


夢と現実の区別がつかなくなってしまったような微かな恐怖と、
好奇心の混ざった複雑な高揚感を抱え、
マンションの階段を駆け下りた。


夜。
地上には確かな夜が広がっていた。
ビルやマンションの陰ではなく。
残夏の夜独特の、終わりを予感させる空気が辺りに漂っている。
コンクリートに足音はなく、無口で重い静謐が潜んでいた。
シャッターの降りた店、耳をすませると聴こえる遠くの犬の声、
どこかよそよそしい町の雰囲気。




もう一度空を見上げる。
太陽の場所はわからないけれど、
青の背景と油絵のようにやけにはっきりとした雲がある。



妙な光景だ。


昼と夜の境界線が、間違えて空間に現れてしまったようだ。
時間軸以外に、居場所はないはずなのに。


こんなおかしなことになっているのは自分だけなのだろうか。







たまに思うけど、
どうにもならない世界の終わりに直面したとき、
誰に最初に電話する?
それで、何て言う。


たぶん
テレビでめちゃくちゃ笑える番組を見つけたとか、
試聴したアルバムが最高だったとか、
マンガの単行本がでたとか、
意味無く電話したときのように、
普通に「もしもし」って言って、
それで、結局大事なことは何も言えない。


友達が雑誌に載ってるのを発見したとか、
ハーゲンダッツの新作がでたとか、
薄着で寒いとか、
そんな意味無い電話がかかってきて、
プツリと切れたあとに、もう二度と会えなくなってしまった人がいて、
長い間なんだか腹立たしかったけど、わかる。

いや、わからない。
大事な言葉がぐちゃぐちゃと胸の底にたまったままで、
常に空気の薄い場所にいるような息苦しい生活には疲れた。
ずいぶん前の話だけど。



なぜ今そんなことを思い出したのだろう。
それよりこのおかしな状況を誰かに確かめてみよう。
ジーンズのポケットから二つ折りの黒い携帯をとりだす。。
開くと、手元が画面の光で明るくなった。

ボタンがない。
画面も真っ白に光ったまま何もでてこない。

俺は頭がどうにかなってしまったのか。
気持ちをリセットしようと、音を立てて携帯を閉じた。

両手で包み込んだその器械は、なぜだか急に軽くなり、
徐々に感触が消えていった。
驚いて手を開くと、手のひらの上には小さな黒い虫がいて、
ゆっくりとした呼吸のように光を点滅させていた。
ふと顔をあげると、周囲には同じリズムの光がいくつも舞っていて、
暗い世界を点けたり消したりしていた。
ふらふらと、取り巻く情景を眺めて歩くうちに、
手のひらにいた光も、そっと離れて飛んでいった。

どういうことだろう。

相変わらず鮮やかな真上の空を仰いで、
理由を考えた。








ひとつだけ思い当たることがあるとしたら、
今日は真昼が消えた日だった。

こんな手の込んだことをして。

昼と夜の区別も、
好きと嫌いの区別ももうわかった。
オトナですから。
箱を解体して、光と向き合います。

昼が嫌いだなんて、
好きな子をいじめてしまう小学生みたいに
単純な意地をはっていた。
わからなかった。気づかなかった。


櫻井真昼という子がいた。
3年前世界から完全にいなくなってしまって、
彼女にまつわる全てのことが頭ん中でぐちゃぐちゃになった。


周りにはまだ幻想が点滅していたが、
目を閉じた。
次に目を開けときには、
彼女のせいで曲がった現実が、
彼女のおかげで少しはマシに見えているはずだ。



大事にしていた本の229ページに真昼が落書きをしたとかいう、
そんな小さな意味のない出来事が、
意味を持つ記憶に変わるように、

生まれてきておいて消えてしまうなんて、
そんな理不尽なことも、
意味がないようで意味があることなのだろう。





光が、眩しい。

目の前で猫が散歩している。
どこからか子供のはしゃぐ声が聞こえた。
街灯は消えて、
綺麗な空が上にある。


真昼だ。














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# by Dasein100-1 | 2005-01-25 07:20 | 015 真昼

014




目が覚めたら天使が部屋にいました




初めまして、藤本君。

え?あ、どうも。

突然来てごめんなさい。
私のことどう思ってる?

いきなり、どうって言われても。

純白で、清潔で、優しさに溢れているというこのスタンス。
…胡散臭いと思わない?

まぁ確かに。

私本当は煙草も吸いたいし、
汚いジーンズ履いてコンビニ行って立ち読みとかしたいのに。

すればいいんじゃないの?

それが簡単にはできないの。
天使という仕事柄、やっぱりイメージが取り柄だし。
だから貴方の生活が羨ましい。
貴方から見れば、裕福な暮らしをして誰からも好かれていて
社会的地位も高い私の生活が良く映るかもしれない。
けれど本当はそんな幸せじゃないの。

へぇ、そうなんだ。
で、何しにきたの?

ちょっと元気づけに。
貴方がこの部屋でくすぶってるの知ってたから。
友達にならない?
私は他の天使とは違って自分に特別意識などないの。
だから与えるとか施すという立場ではなく、
貴方のような人と対等なつきあいをしたい。

あー。断る。

え?どうして?

うーん。めんどくさい。
悪いけどもうすぐ友達くるんだ。出てってくれる?


雑誌やゴミが散らばった6畳にも満たない狭い部屋で、
両腕を頭にまわして寝転がっている男と、畳に上品に跪いた天使がいて、
そこに数秒の沈黙があった。

気まずい。


男はリモコンに手を伸ばしテレビをつけた。
騒がしい音が流れ出し、そのすぐ後に安っぽいチャイムが鳴った。
天使はいまだ動かなかった。

まだ居たの?
ほら、これあげるから。

彼は天使の白い手に、煙草の箱を握らせた。


天使は泣き出した。
煙草を握りしめ膝の上に載せ、長い睫毛を濡らして涙を流していた。
ドアに向かおうとしていた彼はそれに気づき、戻ってきた。
そして天使の正面に正座し、言った。


君は天使である自分に特別意識がないらしいが、
オレは腐った人間である自分に特別意識がある。
だから対等には付き合えないんだ。
ごめん。
あ、これも持ってく?

彼はそばに転がっていたカップめんを、天使のもう一方の手に握らせた。


チャイムが苛立ったように繰り返し鳴った。
彼は慌てて立ちあがり、ドアへ走った。



「倉田か、早いな。」
「出てくるの遅いよ、外寒かったんだから。何してたの?」
「いや、さっきまで天使が来てて。」
「なにそれ。新しい脚本の構想?なんか胡散臭い、そのテーマ。」

藤本は散らかった自分の部屋を見まわした。
天使は消えていた。煙草と、カップめんも。

「天使って…あ、可愛い子でも来てたの?」
「まあね。」
「それで、どうしたの?」
「帰した。」
「もったいない。」
「ですよね。」
「浅野たち、もうすぐ来るって。」

「実はさ、奇跡が起きないかなって思ってたんだ。」
「奇跡?」
「奇跡が起きて、天使みたいに可愛い子がうちに来ないかなってさ。」
「バカじゃないの。」
「でもホントに来ちゃったよ。しかも本物が。」
「へー。それで帰しちゃったんでしょ?」
「そう。」
「藤本さ、寂しすぎて頭おかしくなったんじゃない?」
「そうかも。」


今日はクリスマスでした。
奇跡が起きたけれど、たいしていいもんじゃありませんでした。
友達にならない?
って、なんだそれ。

今日はクリスマスでした。
それで普段全然意識してなかった倉田のことが急に気になりだした、
ワケでもなく。

吉祥寺のこの狭い部屋で、
いつもの仲間と飲んで、食べて、寝ます。



奇跡はもういりません。神様。自分でなんとかします。
こんな毎日も、けっこう楽しいです。アーメン。










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# by Dasein100-1 | 2004-12-25 23:57 | 014 目が覚めたら天使が部屋に

013




桜草



個人的な話をしていいですか。
昨日見た夢のことなのですが。


私は逃げてました。
その自分の背中を見ていました。
撃たれました。
瞬間、私はしっかりと自分の身体に納まり、
背中の痛みを感じました。

2発 3発 4発 5発

確実に皮膚が破れる感覚がありました。
本当に、本当にこれで、
自分は消えてなくなってしまうのだと精神が恐怖に揺れました。
それは何度も感じた震えでした。
だからむしろ慣れてしまったのかもしれません。
身体が地面に着地したときには、意外に落ち着いてました。

土が冷たい。ゆっくりと身体が体温を失っていく。



けれど私はまだ生きていた。

柔らかく長い草の葉が頬を触るのに気付きました。
薄く目を開けると、
どうやら背中の方から伸びてきているそれが見えました。

振り返ると、花が咲いていました。
皮膚を突き破るように背中に5つの花が咲いていました。


私は状況をうまく把握できなかったのですが、
緑色に光る葉と、鮮やかな花弁を広げる自分の背中をみて、
こんな風に木も小さな植物も
からだに花が咲く瞬間はけっこう痛いものかもしれないな、と
ただそんなことだけ、ぼんやりと思いました。

いつの間にか私の全身は葉と花を被り、
それらは徐々に身体の下に広がっていた黒い土を覆い、
野が現れ、緑は限りなく延々と広がり、
私はもうどこにいるのかわからなくなりました。


それだけです。
目が覚めたら、いつもの部屋でした。










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# by Dasein100-1 | 2004-12-07 00:20 | 013 桜草

012




reason



まあね、
フォークに挟まったパスタ1本にも満たない存在ですよ。

例えば世界中の核兵器を買い集めて
海に沈めたその上に遊園地作っちゃうような話に比べたら、

スプーンに残ったヨーグルトの跡みたいなものですよ。
一人の価値なんて。


長い長い長い歴史に比べれば、
そんなもの年表に空いた画鋲の穴よりも小さい。
だから在ったって無くたって同じはずなんです。


でも、どうもダメらしい。
死ぬのは怖いらしい。


あと百年もすればどうなる。
ここにはいなくて。
どこにもいなくて。
誰もいなくて。
何も考えてなくて。
ていうか、



まいったな。手が震えてるよ。
あの、すいません。誰か教えてください。
ピアスは禁止だとか言う前に、教えてください。


理由を。











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# by Dasein100-1 | 2004-12-06 04:02 | 012 reason

011




マボロシ



年老いた科学者の書斎に現れたのは、30年前に死んだ娘だった。
娘はドアの前に立ち、小さな頭を傾けてじっとこっちを見ている。
科学者は手招きをした。
娘はその場から動かない。
9歳の誕生日に買ってあげた服を着ている。
そう、少しサイズが大きかったんだった。
手の先まですっぽりとふわふわのセーターで隠れてしまっている。
科学者は微笑んだ。

「君はその、幻だな?」

娘は驚いた顔をし、ゆっくりと頷いた。

「そんな風に言われたのは初めてです。」
「うん。僕は科学者だから。」

窓から風が入り、カーテンが揺れた。
たいていの場合、そういう瞬間に幻は消える。

けれど彼女はまだそこに居た。

「質問していいですか。」
「父親としての僕に?」
「科学者としての貴方に。」
「いいですよ。僕は正しい科学者ではないけれど。」

科学者は手招きをした。
幻は静かに移動し、ソファーに座った。

「私は幻だから、いつでも他の誰かでしかいられない。」

幼い娘はいつの間にか、20歳ぐらいの女性に変わっていた。
娘は9歳で死んだ。
だから彼女は科学者の想像の産物である。
それはわかっている。けれど感情はその理解を拒んだ。
声も姿も、幼い頃の面影を残したまま大人になった娘は、
妻に似て綺麗な横顔をしていた。

「そのことが不満ですか?」
彼女は首を振った。
「いいえ。それでいいと思っています。」
「幸せですか?」
「はい。それなりに。」
「よかった。娘の姿をした君には不幸せでいてほしくない。」

彼女は眉を寄せ、年老いた科学者を睨みつけた。
部屋の空気が揺れて、机の上の紙が舞った。

「それは父親としてのエゴです。」

科学者は傍にあった紅茶を飲み、一息ついた。
僕は無意識に、大人になった娘に怒られることを夢見ていたのだろうか。

「すまない。娘の話はいい。幻である君の心配をしよう。」
「それは迷惑です。存在しないことが、私の存在意義だから。」

科学者は笑った。

「自分勝手だな。話があるのだろう?」
「質問があるといっただけです。あなた。」

娘の声が突然若さを失い、ソファーには、別れた妻が座っていた。
離れて暮らしていたが、1年前に先立ったと聞く。
憎んでいたその否定的な口調が、懐かしかった。
彼女は脚を上品に組みかえ体をひねりため息をついた。
話合いをする時のスタイルだった。

「不満があるわけじゃないわ。ただわからないのよ。」
「なんのことだ。」
「存在のことです。貴方は頭がいい、私よりはわかるでしょう。」
「僕は科学者だけれど、哲学者じゃない。」
「幻を現実にする方法はありますか。」
「ある。簡単だ。信じればいい。」
妻はため息をついた。
「信じることは幻と同じです。」
「何がしたい。」
「もう一度あの子と。」
「無意味だ。」
「意味なんか貴方に聞いてないわ。」

科学者は手を組み、妻をじっと見つめた。
「僕は君たちに会えて幸せだった。それじゃダメだろうか。」

妻はゆっくりと脚を組み替え紅茶を飲み、微笑んだ。
「それは昔、私が貴方に言った言葉。覚えていてくれて嬉しいわ。」



ニュースをお伝えします。
こちらは最先端の脳科学研究と高度な医療技術で有名な私立瀬田病院です。
この研究施設に並ぶカプセル型の機械は、H・タナカ博士が中心になり開発された最新式の生命維持装置です。末期患者のターミナルケアや老人の介護問題の解決につながる夢の機械といわれています。

この装置の簡単な説明をいたしますと、患者はこのカプセル型の装置に横たわりヘッドギアを装着することによって、自然に安らかな睡眠状態へと移行します。その後、身体に異変が起きたとしても、麻酔をかけ直すこともなく脳は半永久的に眠り続けます。カプセルの側面には身体を定期的に検診する装置もあり、ケアは万全であるとのことです。
さらにその眠りの間、患者は望む夢を見ることができるそうです。これは記憶と神経伝達を、人工的な電気信号でプログラムすることで実現しました。

つまり、この先自分自身の死の瞬間は、一番スバラシく心地よいシーンとなるのです。
どんな人も病気や老衰におびえることなく、最高の生をまっとうすることが可能となりました。
そして今日、末期ガンと宣告されていたタナカ博士自らが、初めてその装置を使用する患者となります。歴史的に記念すべき日になるでしょう。




「タナカ先生、準備は整いました。」
「タカシマ君。」
「はい。」
「僕は昨日夢を見た。最後の夢だ。」
「最後?先生はこれから嫌というほど素敵な夢を見るんですよね?」
タカシマは快活に笑った。彼は信頼できる男だ。
「少し話をしてもいいかね。」
「もちろんです。時間はまだあります。」


研究施設の広いロビーには、他に誰も居なかった。
病院の外は報道関係の声や音で騒がしかった。
その遠く賑やかな音が、まるで関係のない騒ぎであるような気がした。
「僕は娘が亡くなってからずっと、その記憶に苦しんだ。」
「ずっと、ですか。やはり今も。」
「そうだ。割り切ることができなかった。僕の現実は、いつまでも向こう側にあった。」
「その気持ちはよくわかります。」
「妻は初め、僕と同じだった。けれど変わった。彼女は娘の死を受け入れた。」
「あなたは。」
「ダメだ。どうしても無理だった。だから他のあらゆるものを犠牲にして、今この場所にいる。」
タカシマは黙って頷いた。
「僕は間違っているだろうか。」
「正しいか間違っているかは、それを専門にする人たちが話し合うことです。先生は信じることを行ってください。」
「ありがとう。」
タナカは痩せて骨ばった手を差し出した。
タカシマはそれをしっかりと握った。





放送局のカメラとたくさんの人間が、研究棟の廊下に並ぶ。
重厚な扉を開くと、眩しい照明がサナギように縦列する装置を照らしている。
半透明のカプセルの前で、白い清潔な衣服をまとった科学者は優秀な助手に耳打ちをした。


タカシマ君、最後に頼みがある。
壊してくれ。
そして、『失敗だった』と。
すまない。



その表情はとても静かで、穏やかだった。
彼はこの瞬間、30年ぶりに現実で生きた。
そして科学者は、カプセルに消えた。











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# by Dasein100-1 | 2004-11-27 12:22 | 011 マボロシ

010




バベル



ワケのわからないものに埋もれる。
それだけはゴメンだ。
左の通路から白い塊がこっちに流れてくるのがわかった。
雪か?いいや、もっとモヤモヤしたものらしい。
早く脱出しよう。
もときた道を振り返ってはいけない。
これはルールだ。
ぐるっと眼球だけを回し、現状の選択肢を確認した。

天井にあいたマンホールと、
正面のエレベーター。
萩原はコンクリート壁に囲まれた廊下に一人立ち、考えた。
広い空間で、やけに孤独を感じる。
先ほどくねくねと曲がった奇妙なトンネルを通ったのだが、
そこを出たとき180cmあった萩原の身長は12cmになってしまっていた。
なぜ?
理由を考えることなど、やめた。

天井の既成概念として、この部屋のそれは低かったが、
人間の既成概念としての萩原の方が異様にちっちゃかった。

そういう訳でマンホールには遥かに手が届かない。
決心し、エレベーターに向かって彼は走りだした。

遠い。こんなに必死で走っているのに。
間抜けな音がしているに違いない。
笑えるぐらい非力だ。
ようやくたどり着き、膝に手を置いて呼吸を整えた。
目の前に立ちはだかる異様に大きなドアを見上げて、気付いた。

しまった。
この背じゃボタンに手が届かない。

息が切れて汗だくなのに、冷や汗まで出てきた。
どうしよう。

頭を抱えてしゃがみこむと、足元にちょっとした段差があり、
かかとがひっかかって尻もちをついた。
なんだこれは。
自分の大きさほどある△▽のマークが床から突出していた。
エレベーターのボタンのようだ。

まさかこんなとこに設置されてるとは思わなかった。
でも、どっちが上でどっちが下なんだ?
この際どうでもいい。
ここにいたら埋もれて終わりだ。
顔をあげると、左の通路から流れ出た白いモヤモヤしたものはすぐそこまで迫っていた。
近づけば近づくほど、見れば見るほど、それらは正体がつかめない。
こういう説明しにくいものは、たいていたちが悪い。

腕に全体重をかけて、ドア側の△を地面に埋めた。
マークに光がつき、遠くからレールの動く音が聞こえた。

エレベーターを期待していた。
しかし萩原の身体はそれが現れる前にこの部屋から消えた。
ボタンだと思われた△のマークはそのまま限りなく地面に沈み、
そこに両腕を預けていた彼は、つんのめるようにしてその三角の空洞に落ちた。

ずぶずぶと土の中に沈む。
黄色の正三角形とともに彼は下へと降りていく。

しまった。また逆戻りか。
とにかく上に進まなければならないのに。
ならないのに?
なぜ上を目指していたのだろうか。
忘れた。

地中は以外に派手だった。
きちんとした層ができていて、各層に民族や文化が形成されているようだった。
ゆっくりと最下層へ向かう間、
地中に住む者たちの、ヤケに楽しげな音楽やにぎやかな踊りをいくつもみた。
似たような光景を小さい頃に見た覚えがある。

「イッツ・ア・スモールワールド」

センスの悪い服をきたネズミが主役の『夢の国』だ。
いつ人形達に襲われるかと思い、恐怖で手が震えていた。
そんな風に意図をはき違って生きるのが、
僕の人生だ。


ガタンと音がして、下へと落ちる動きが止まった。
いつのまにか到着していたようだ。
ここはどこだろう。
町だ。
ざわざわとした懐かしい音が聞こえる。
地中を降りてきたはずなのに、空が見える。
夕暮れだ。以前はよく目にした、薄い赤色の空。

街の入り口に門が立っている。
近づいてみるとそれは門ではなく、巨大なマルボロ(赤)だった。
オブジェではない。多分、普段手にしていた普通のそれだ。
萩原自身がさらに小さくなったという証明。
横に立って並んでみた。
4分の1マルボロか。

夕食の匂いがする。
ここは、皆が煙草より小さなこと以外は普通の町だ。
生まれたところは、こんな穏やかな町だったような気がする。
ここなら、何も考えずに幸せに暮らせるかもしれない。
理由、思想、矛盾、葛藤。
感じないという安堵。ただ温度だけがある。


古びた本屋の前で、誰かにTシャツの裾をひっぱられた。

「ねぇ、ちょっと手伝って欲しいことがあるの。棚に手が届かなくて、ジャムの瓶が取れないの。」
知らない女の子に連れられて、知らない家に着いた。
けれどその家はどこかで見たような気がする。
女の子の年は多分同じか少し下、誰かに似ている。

キッチンに案内され、流しの上の棚から蓋のついたガラス瓶を取って渡した。
「ありがとう。」
感触が軽くて、瓶の中には何も入っていないように思えた。
「それ、空じゃないの?」
問いかけられた彼女は不思議そうな顔をした。
「空よ。」
「え?」
「これからいれるのに、空じゃない瓶を使うの?」
彼女はコンロの上にのっていた大きな鍋のフタを上げた。
ジャムの匂いが熱い蒸気とともに広がった。
「少し疲れてるなら休んでいったら?2階にベッドがあるから。」

階段の下にきて、絶句した。
螺旋階段が2つ、互いに絡まるようにして上に向かって伸びている。
目を細めても、一番上が点にしか見えない。

「2階って」
「この上。」

2つの階段は、それぞれ1段目手前の床に数1つずつ字がふってある。
「3」と、「5」。
女の子の顔を見上げると、彼女は頷いて言った。
「どちらを選んでも同じことよ。」
萩原は3の階段を選ぶことにした。
階段を一歩踏み出して、聞き忘れた質問を思いだし、もう一度立ち止まった。

「名前は?」
「バベル。」
「いや、階段の名前じゃなくて、君の名前。」
「聞いてどうするの?」
「上ってる間、暇だから考える。どんな音楽を聴くのか、どんな映画が好きか、とか。名前がなければ想像がわかない。」
「無駄よ。戻ってきたら教えてあげる。」
彼女は笑って手を振った。
萩原は頷いて、螺旋階段を上り始めた。


わかっている。戻るために上るワケではない。
だからもう二度と会えないだろう。
彼女は賢明だ。
地に足をつけ、ジャムを煮ているほうが断然幸せでいられる。

萩原は想像してみた。
キッチンで瓶にジャムを流し込む彼女に
様々な音楽を合わせ、週末の予定をくんでみた。
ダメだ。
名前がなければすぐ消えてしまう。


階段の上のほうから、白い粉のようなものが降ってきた。
たぶんこれは、愚かな人間が階段の途中で力尽き、
何万年も放置されて風化した骨が舞ってここまで落ちてきたのだろう。


それでも、自分だけは。
この先に何があるのか見れるのかもしれない。


萩原は階段を上り続けた。
顔の皮膚が乾燥し、脚の関節が軋んだ。
爪が白く濁り、伸びた髪が抜け、
死んだ細胞が剥がれ始めた。


擦り切れる程繰り返し思い出した大事な記憶が、
徐々に曖昧になり、完全に消えようとしていた。


最後の選択は、たった2つ残った記憶。
決められていたルール。
最後に会った人。




忘れたのは、ルール。
そして、振り返った。



目を覚ますと、見慣れた部屋のベッドの中だった。
1階から自分を呼ぶ声が聞こえる。
階段を降りると、キッチンからジャムとトーストの匂いがした。
萩原は窓側の椅子に座り、マルボロに火をつけた。
彼女がキッチンから顔をだし、驚いた顔をした。
そんな風にするのは3ヶ月ぶりだと。
いつからか魂が抜けたようにぼんやりとして、
名前を呼んでも答えてくれなかったと言った。
「僕が?」
彼女は頷き、今にも泣き出しそうな顔をした。
嬉しそうな表情と、泣くのをこらえるのとで顔がぐしゃぐしゃに歪んでいた。
その上すっぴんだったから、笑えるぐらい不細工だった。
でもそれは言わないでおこう。
心の底から愛しいと思ったけれど、これも言わないでおこう。


テーブルには病院の領収書やワケのわからない薬が積まれていた。


萩原はスーツに着替え、3ヶ月ぶりに家を出た。
外は眩しかった。
網膜に入る光の粒が、まるで白い粉のようだった。
とっさに目を閉じた。

バベルに
上るか、上らないかの話だ。


まぶたをゆっくり開けると、
世界の残像が揺らいで消えた。
目の前に現れたのは、はっきりとした現実の輪郭だった。
選択に自信はない。
でも、後悔もない。

振り返ってみた。
窓から顔を出した彼女が見えた。

だから、その名前を呼んだ。












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# by Dasein100-1 | 2004-11-04 00:36 | 010 バベル