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002




水槽



強い雨の音がする。
教室にはほとんどの生徒が残されている。
とっくに下校時間は過ぎているのに。
横からの風と雨に打ち付けられ、窓がガタガタと音を立てる。
台風かな。
消しゴムを投げあったり無駄話をしてたり、皆落ち着きがない。
私は席におとなしく座って先生を待っていた。
蛍光灯がはっきりしない白色で室内を照らす。
今日の体育、無くなってよかった。
ドッジボールなんて、正直だるかったんだ。
ぼんやり指先をいじっていると、不意に横で人が立ち上がる気配がした。
隣に座っていた男の子が急に帰り支度を始めた。
黒目が目立つ、賢そうな顔立ち。病的なぐらい色が白い。
華奢で、姿勢がどこかぐらぐらしている。

「どうしたの、先生まだこないよ。勝手に帰ったらきっと怒られるよ。」

その子は私の声に手を止め、
不安そうな表情で周囲を見回す。

「おれ、庭に水槽出しっぱなしてきたんだ。だから、こんな雨降るとやばいんだ。」
「水槽?魚飼ってるの?」
「やっぱりおれ帰る。早く帰らなきゃ。」

引き出しから乱暴にノートや教科書をカバンに詰め、
今にも教室から飛び出す勢いだった。
私はランドセルを背負った彼のTシャツの袖を引っ張った。

「ダメだよ勝手に帰っちゃ。魚なんだから雨ぐらい大丈夫よ。」

青白い顔が歪んだ。

「ばかじゃねえの。こんな強い雨に打たれたら溺れちゃうだろ。」

腕をぶんと振って、私の手を払った。
そして、走って出ていった。
椅子が倒れて、ドンっという大きな音がした。




私はその音で目を覚ました。
雨の気配がする。
みなれた1Kのシンプルな部屋。青いカーテン。
昨日散らかした雑誌がある。
どうやらここは現実らしい。
窓がガタガタと大きな音を立てた。
日曜の朝なのにこんな天気なんて。
もう一度ベッドに潜ろうとしたとき、携帯が鳴った。

リョウはビニール傘ひとつで来て言った。
「…なんか台風ってわくわくしない?」



ふたたび夢を見た。
雨が降っている。かなり強い雨だ。
私は魚になっていて、水槽の中で溺れていた。
もがいてはいたけど苦しくはなかった。
水の中から、キラキラした水面をずっと見ていた。
不確かな泳ぎで同じところをぐるぐると漂っているとき、頭上に影を感じた。
水面の向こうに、黒目の大きい男の子の顔が揺れて見えた。





白い煙が空中に浮いていた。
隣を向くと、リョウが暇そうに寝煙草をしていた。
「ねぇ、魚飼ってたことある?」
「ない。」
「一度も?」
「ない。魚だったことはあるけど。」
リョウは滅多に笑わない上に少し変わっている。
だからフザケているのか、そうでないのか全然わからない。
「いつ?」
「今の前。雨の日に溺れて死んだんだ。」

煙草をつぶして、無表情のままつぶやいた。

「だから、本当に今息をしているのか不安になるときがある。
 空気に溺れて窒息するんじゃないかと思う。」
「まさか。」
「呼吸の仕方を忘れるかもしれないから。」


「だからさ、こうやって確かめるんだよ。」

リョウはふたたび煙草に火をつけた。
水槽のような部屋の中に、その吐いた白い煙が漂い、流れた。










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by Dasein100-1 | 2004-09-06 03:40 | 002 水槽