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電線




いつものように駅まで向かう道を歩いて
考え事をしていた。


南に上陸したらしい台風のこと。

やり直しを何度も繰り返して、
またダメかもしれないと思っている彼女のこと。

ハトのこと。

午後は晴れるという根拠のない自信で干してきた洗濯物のこと。

自分ばかり損していると思いはじめたら、
急にやる気のなくした仕事のこと。

見逃した映画のこと。

ためているメールのこと。



脈絡もなく。考え事をしていた。


ふと頬に冷たい感触があって、ふと顔を上げると
電線から雫が落ちてきていた。
目を細めてそのまま空を見ていて、
前から来た高校生に気がつかずに、
すれ違いざま必要以上に肩をぶつけられた。


半回転してよろめき、
けれど毒を吐くようなベタな度胸はなく、
その後ろ姿をぼんやり眺めてから、
居心地の悪い気分で前に向きなおった。

道路が続く。
なんて普通の景色なんだ。


もしかしたら違う道を歩いていたのかもしれない。
違う選択をして、
違う誰かと出会って、
こんな道は歩いてなかったのかもしれない。


なんて普通の景色なんだ。




気がつくと電柱のボルトに手をかけて、
上へ上へと登っていた。



電線を歩いてみた。



街の上を縦横した黒い電線は、足をのせるとぎゅっとしなって意外に歩きやすく、
そこを歩いているのは他には誰もいなくて、
思った以上に気持ちが良かった。


それで。


台風のことも、彼女のことも、ハトのことも。
洗濯物のことも、仕事のことも。
映画も、メールも。


全部忘れて、電線の上で過ごしてみた。



電線の上には電線の上のルールがあって、
例えば大量にスズメが群がるテリトリーや、
電柱が老朽化して危険な地域、
突風が吹く場所、
思うほど楽ではなかった。




でも3年も経ったら慣れた。
どんな環境だってそんなもんだ。






駅まで向かう電線を歩いて
考え事をしていた。


脈絡もなく。3年前の暮らしを思い出していた。


台風のこと、彼女のこと、ハトのこと。
洗濯物のこと、仕事のこと。
映画、メール。



もう鮮明に思い出せなくなっていて、
急に寂しくなった。


電線の上でしゃがんでみた。
久々に膝を抱えて泣いてみようと思った。


でも。
足元をみて、泣く気が失せた。


愕然としたのは、足がもう地面を歩くためのものではなくなっていて
靴もなくて、
その代わりに鳥のように硬くて割れたつま先があった。
背中も背中ではなくなっていて、
バランスをとるために翼のように空に向かって伸びた肩甲骨が
風を受けて体を支えていた。

降りることが怖くなった。



居心地の悪い気分で前を向いた。

電線が続く。
なんて普通の景色なんだ。

もしかしたら電線なんか歩くべきじゃなかったかもしれない。
違う選択をして、
違う誰かと出会って、
こんなところは歩いてなかったのかもしれない。

でももう降りれない。


ふと頬に冷たい感触があって、顔を上げると
雲と雲の隙間から雫が落ちてきた。


今度はいっそ飛んでしまおうか。



髪が雨に濡れ、考え事に飽きて電線の上で立ち上がった。

黒くて細いそれがぎゅっとしなった。



飛んでしまおう。


震えた髪から落ちた雫が電線の下の世界に落ちた。



電線の下の世界では、見たことのある男が頬に雫を受け、
目を細めて空を見ていた。
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by dasein100-1 | 2006-07-04 08:01 | 044 電線