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ミルク





「おい、お前なにしてんだよ。」

「え?」

「俺は牛乳に氷をいれるやつが一番嫌いだ!」


いきなり何だよ。

兄は私に向かって人差し指をびしっと向ける。


「お前だお前。このXXXXが。」

…なにぃ?
もういっかい言ってみろコラ。





天然ドレッドで顔が外人並に濃い兄はありえないぐらい理不尽だ。


私は風呂上りで、ごっつ機嫌がよかった。
鼻歌を歌いつつ。
冷たい牛乳をグラスで一気飲みしようとしていた。
もちろん小指を立てて。
なのに、
理不尽な兄の怒りにふれ、暴言を浴びせられたうえ背後から首をしめられた。
そして頭をがくがくと揺らされた。

「あががが」

口端からぶっと牛乳がはみでる。
こんな姿誰にも見せられない。

妹をこんな無様な姿にしておきながら、
突然冷たくぱっと腕を離し、
ぷすぷすと笑いながら兄はリビングの椅子に足を抱えて座り、
テーブルの上の煙草を手に取る。


このどSが。

はみでた牛乳を手でぬぐう。


そんな私を見て、兄はまたむくくっと笑う。





私の頭を揺らすことが、最近の兄の流行らしい。

思い切り揺らされた私の頭は、
もともと緩かったねじが内部でボロボロとはずれてしまったようで、
風呂上りに食べようと用意していたブロッコリーに
マヨネーズをかけるのにも手元が狂い、
にょろっと大量に搾り出したそれを、
机に思いっきりぶちまけてしまった。


あーあ。散々だ。





天然ドレッドで顔が外人並に濃い兄はありえないぐらい理不尽だ。
ガキだ。ほんっとガキだ。

マヨネーズをかけてもらえなかったブロッコリーと、
飲みそこねた牛乳のことを思いながら突っ立ってると兄に呼ばれた。

「アサミ、ちょっと来てみ。」

椅子に体育座りをして、煙草を口に加えたまま、
兄はちょいちょいっと手招きをする。

「なに。」

「なんか書けるもん持って来い。チラシの裏とかでいいから。説明してやる。」

よくわからないけれど、とりあえずペンと紙を探す。
チラシもないし、適当なメモ用紙も無い。
仕方ないから、『無印良品』の紙バックを持っていく。

無愛想にペンと紙バックを差し出すと、
「これに書けって?」と言い紙バックを裏返したり戻したりしていたが、
「まいっか」と、ボールペンでその余白になにやら落書きをしだした。



どうやら、コップみたいだ。

そこには牛乳が入っていて、

氷が浮いている、という絵のようだ。


「ここだよ、ここ。」

自分で描いた氷と牛乳の境目を、ぼんやりと塗りつぶす。

「ここ、まっずいだろ?な、オレ絶対無理。」


サイアクだろーとぶつぶつ言いながらペンを動かす。


あぁ、言ってることはわかるけれど。
牛乳を水で薄めたような部分は無駄にまずい。


「絶対無理。」

わかったわかった。



「そこは北極の縁だからなぁ。」

ん?

「北極の縁なんだよ。」


北極の縁?




兄はペンをぎゅっと握りなおす。

「世界が生温い牛乳にぜーんぶ沈んだとする。」

落書きの牛乳の部分に、ビルやら人ごみやらを緻密に書き込む。

「そしたら浮かんでるこの氷は北極だ。」

氷をやけにリアルに、写実的に描き直す。

「だから、このくそまずい水だかなんだかわからない部分は『北極の縁』だ。」

ぐにゃぐにゃと落書きの上から、
その部分にペンで線を重ねながら兄は幾何学的な模様を完成させる。



稀代の科学者が書いた設計図のように繊細な絵だ。



「知ってるか?南極の氷の下には大陸があるけど、北極の氷の下は海だ。
 まぁどうでもいいや。
 生温い牛乳からもがいて逃げようとする人間どもは、
 快適な温度をもとめて北極に泳ぎつく。でも氷は冷たすぎるから、
 みんなこの水だかなんだかわからない部分にみんな集まるんだ。
 全人類がここに集まるんだぞ?」

幾何学的な模様の隙間に、
サラリーマン、主婦、子供、女、老夫婦、インド人、グラビアアイドル、
に、見えるような小さな人間を付け足していく。


ほぼ隙間が埋まると、
兄は顎をぶるぶると揺らして、ペンを投げる。

「きもちわるっ。」


そして、前フリもなく私の額をびしっと叩く。

「いたっ」

兄はむくくっと笑う。煙草を吸う。



私はこの頭のおかしな兄が9.9割がた嫌いだけど、
どうしようもない天才なのも知っている。
自分と全く違う人種であることを知っている。



「お兄ちゃん。」

「なんだね、アサミ君。」

「もしさ、世界が牛乳に沈んで、私が溺れてたらどうする?」


一瞬、真剣な顔になった。

「どうするもなにも、何もしねーよ。」

こいつ本気だ。

「本当は助けてくれるんでしょ?」

「何もしないって。」

「…本当?」

間をおいて、トーンの落ち着いた声でじっくり言う。

「本当だよ。」

あぁ、そう。




ん?

カタカタ

カタカタ カタ ガタガタガタ


机のうえのコップが振動している。

あれ


「あ、地震だ。」

地震?

ガタガタ ガタガタガタンガタンガタンガタンガタン

大きい。止まらない。すごく大きい。

コップが倒れる。牛乳がテーブルにぶちまけられる。
氷が床に落ちる。

部屋中の物という物が揺れる。振れる。落ちる。

ガタガタ ガタンガタンガタンガタンガタンガタン


「どうしよう!お兄ちゃん!」


ガタガタ ガタンガタンガタンガタンガタンガタン

ガタンガタンガタン ガタン

ガタン ガタン 


カタカタ 

カタ


…止まった。

まだ心臓がどくどくいってる。
パニックになって、私はただ両手で頭を抱えていただけだった。

あぁ、怖かった。
もっと大きい地震で、場所が悪かったら死んでたかもなぁ。

愛というものは、こういう非日常の事態で発揮される。
と、よく聞くが。


ふと顔をあげると、
兄はもとの場所から1ミリも動いていなかった。
椅子に足を乗せて座り、
ペンでぐにゃぐにゃと落書きを続けていた。


「お兄ちゃん。」

「なんだね、アサミ君。」


私はゆっくりと立ち上がり、兄の落書きをのぞきこむ。
『北極の縁』に、
デフォルトされて泣き喚く私の絵が加えられていた。

本物よりもブサイクに書きやがって。

でも似てる。

そっくりです。



「おい、アサミ。世界が牛乳に沈んでるぞ。」


テーブルも、床も、牛乳びたしだった。


「溺れる前にちゃんとダスキンしとけよ。」

ぷすぷすと笑って、兄は部屋へ引き上げていった。





北極の縁に溺れて牛乳の底に沈んでしまえ。
たぶんその場所には私もいる。

その非日常な事態に便乗して、
天然ドレッドで気味が悪いほど異才で途方もなく頭のおかしなこの人間と、
血を分けているという事実をうやむやにして、
まるで気づかれていない愛というやつをぶちまけてやる。


私は正直だから仕方がない。


ルール違反なのは知ってるよ。よくないことだって知っている。
でも、どうしようもない。

知ってる。
くだらない。

「妹」なんて、いつだってやめてやる。

世界が牛乳に混ざってぐちゃぐちゃになって、
くだらない世間体やルールなどなくなればいい。

複雑でどうにも素直に存在できないこの感情も
ほどよくミルクで柔和されて
おいしくなるかもしれない。


そう。

「わりかしおいしい」って言わせてやる。



冷蔵庫を空けると、「俺」と書かれた食べ物が詰め込まれていた。

よし。
これは私が食べる。




あいつの胃は私の空間を空けておくべきなのだ。

どうしようもなく飢える対象になるべきなのだ。

おなかをすかせて待ってるのだよ、お兄ちゃん。













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by dasein100-1 | 2006-03-08 02:52 | 037 ミルク