カテゴリ:035 後遺症( 1 )

035




後遺症




32才の会社員「A」は、1年前事故にあった。

優秀で、善良で、全てが完璧だったAは、
その事故の直後から後遺症に悩まされるようになった。

以下は7人の同僚の話だ。


同僚1
「Aは傲慢になりました。
 会話は常に自慢話から始まり、
 2言目には、『俺はお前らとは違う。』『馬鹿が多すぎる。』などと言い、
 人を小ばかにしたように汚く笑います。

 1年前の彼は、全く逆でした。
 優秀な人で、実力も業績も申し分ないのですが、
 そのことで驕ることは微塵もなく常に腰の低い人でした。

 現在のAは、散々傲慢に振舞ったあと、
 周囲が閉口して彼を冷たい目で見ていることに気付くと、
 瞬間表情が固く変わり、決まってこういうのです。

 『あぁ、後遺症が。』

 彼は、自分の傲慢さを『後遺症』だと思っているようです。
 しかしそれは本当かもしれません。」



同僚2
「Aは嫉妬深くなりました。
 いい成績をあげた人のことを、悪く言います。
 あからさまな嫌味を言っているのを良く聞きます。
 陰で、根も葉もない噂を流すこともあるそうです。

 1年前の彼は、全く逆でした。
 嫉妬するなんてもってのほか、
 嫉妬されても、理不尽な扱いをうけても、
 口先で反論するのではなく、結果で示すような人でした。
 ライバルとはお互いに成長したいと常に言っていました。

 しかし現在のAは、
 営業成績が伸びた人間に、面と向かってこう言いました。
 『お前の営業は脅しだ、頭を使えない奴のやりかただ。』
 『いい気になってる。』
 それはあまりにひどい言い様だったので、
 脇で聞いてた僕はむきになって彼に訂正するように詰め寄ったのですが、
 急にAは頭を抱えてこう言ったのです。

 『あぁ後遺症が。』

 彼は自分の嫉妬深さを『後遺症』だと思っているようです。
 しかしそれは本当かもしれません。」



同僚3
「Aは怒りっぽくなりました。
 後輩がミスすると怒鳴り散らします。 
 私は事務職なので、彼にコピーを頼まれることがあるのですが、
 『ずれてる』と言ってコピー用紙を全て投げ捨てられたことがあります。

 1年前の彼は、全く逆でした。
 後輩のミスをかばって、自らが水をかぶるような人でした。
 厳しく叱る場面もありましたが、それは気持ちの伝わる言葉でした。

 現在のAは、ただ感情を発散しているだけです。
 私のコピーのずれも、誰も気付かないほど微々たるものでした。
 悔しくてつい涙が出てきて、
 そうなると止まらなくなるのが私の性格で、しゃくり声も抑えきれず、 
 周囲の注目を集めだしてしまいました。
 するとAは表情を変え、
 首を大きく左右に振ってこう言いました。

 『あぁ、後遺症が。』

 彼は、自分の怒りっぽさを『後遺症』だと思っているようです。
 しかしそれは本当かもしれません。」



同僚4
「Aは怠惰になりました。
 無断欠勤をします。休憩を頻繁にとります。
 締め切りを守りません。

 1年前の彼は、全く逆でした。
 無遅刻無欠勤、度重なる残業にも文句ひとつ言わず、
 約束事は必ず守りました。

 現在のAは、平気で会議にも遅刻し、
 商談の時間も忘れるほどです。
 そうした失敗を犯しても、
 堂々とした、というよりもふてぶてしい態度で登場します。
 しかし緊迫した事態を察知すると、
 青ざめ、決まってこう呟くのです。

 『あぁ、後遺症が。』

 彼は、自分の怠惰を『後遺症』だと思っているようです。
 しかしそれは本当かもしれません。」


同僚5
「Aは強欲になりました。
 金に汚くなりました。他人の持ち物を欲しがるようになりました。
 会社での地位を異常に気にするようになりました。
 
 1年前の彼は、全く逆でした。
 堅実でしたが気前がよく、気持ちのいい男でした。
 無駄に値の張るようなブランド物は一切身につけず、
 しかしスマートな装いで、清潔感がありました。
 仕事は社内、社外からも認められていましたが、
 本人はそういう評価についてまるで興味がないようでした。

 現在のAは、付き合いに金を出すことは一切無く、
 身のまわりを金目のもので固めています。
 時計、スーツ、車、マンションなど、
 すべて新調し、それでもまだ足りないようです。
 上司に薄ら笑いで機嫌をとった後、
 ふとひきつった口元が崩れ、ぽろっとこうこぼすのを聞きます。

 『あぁ、後遺症が。』


 彼は、自分の強欲を『後遺症』だと思っているようです。
 しかしそれは本当かもしれません。」


同僚6
「Aは大食漢になりました。
 食事の回数、量は驚くほどです。
 彼は食事のとき動物のように食べ物を貪り、
 チキンの骨までしゃぶります。

 1年前の彼は、全く逆でした。
 どちらかといえば食が細く、
 ジャンクなものは極力口にしていないようでした。
 神経質ではないほどに食事のマナーにも気を使っていて、
 女の子達は誰もが彼と食事に行くことを楽しみにしているようでした。  

 現在のAは、量で勝負しているような店で思う存分食事をしてきた後で、
 デスクにカップ麺やスナック菓子を広げ、
 不快な音を立てながら仕事をしています。
 体質なのか、太ることはなくむしろ不健康に痩せ、
 がさがさの唇を微かに動かしてこう言うのです。

 『あぁ、後遺症が。』

 彼は、自分の暴食を『後遺症』だと思っているようです。
 しかしそれは本当かもしれません。」



同僚7
「Aは軽薄になりました。
 女性であれば誰にでも声をかけ、
 うまくいったらその場でホテルに連れ込んでるそうです。
 その上風俗にも足しげく通っています。

 1年前の彼は、全く逆でした。
 優秀で、善良で、容姿も整っていた彼は非常にもてましたが、
 長年付き合っていた恋人を大事にしていました。
 それでも彼に好意を寄せているような女性もいましたが、 
 誠実な態度と距離で接しているようでした。

 現在のAは、以前付き合っていた彼女と別れ、
 不特定多数の女性と関係を持っているようです。 
 廊下の端で、甘ったるい声で会話をしてるのをよく聞きます。
 頭が腐るような会話です。
 そして電話を切ったあと、
 天を仰ぐようにしてこう洩らしています。 

 『あぁ、後遺症が。』

 彼は、自分の情欲を『後遺症』だと思っているようです。
 しかしそれは本当かもしれません。」





そんなAに面会したいという人物が会社を訪れた。

その人物は東京にある私立大学の教授で、
社会学と心理学をコアにした「善悪」の研究をしていて、
どうやら酔狂なカトリック信者らしい。
牧師のような奇妙な格好をして、
受付のものにわざわざ「信仰はカトリックです」と言ったと聞く。

彼はどこからそんな情報を仕入れたのか、
事故により人格が変貌したAに興味を持ち、
直接話がしたいと押しかけてきたのだ。

そのときAは椅子にふんぞり返り、ぼんやりと宙をみていた。

その客がAのデスクにやってきたとき、
Aはまず、アポイトメントもなしにやってきた客を通した後輩を怒鳴り散らし、
差し出された名刺を見て、軽く鼻で笑い、
それをぺこぺこと曲げて腰のポケットに無造作にいれた。

客は会談用の奥の個室に通され、
Aと2人きりで向かい合った。

「で、何の御用ですか?」


「突然お邪魔して申し訳ありません。
 私、坂真下清彦と申します。
 カトリックの者でトマス・アクィナスを支持しております。
 いやいや、いやいやとんでもない。布教じゃないです。 
 私、大学の教師でありまして、専門は心理学と社会学であります。
 一口に心理学、社会学と申しましても、説明しますとけっこうややこしいことをやってまして、
 あ、いや、あぁすみません、すみません。
 こんな長ったらしい話は不要ですね。
 簡単にいいますと、私は「善」と「悪」の定義を追求しております。」


Aは顎に手を当て、薄笑いを浮かべ、坂真下と名乗った初老の大学教授を見る。


「で、僕に何の御用ですか?」

「あの、聞くところによるとAさんは1年前に事故にあわれたそうで。」

「そのようですね。」

「えっ、記憶にないのですか?」

「覚えてますよー。」

ふはははと、Aは笑う。

「そ、その事故からあなたは人格が変わってしまったようだとき、聞きました。」

緊張気味に、しかし興奮しながら坂真下という男はAに尋ねる。
ニヤニヤしながらAは顎をなぞる。

「そのようですね。」


坂真下は唾を飲み込み、まっすぐAの顔を見た。


「人間なんてものは曖昧で不確かなものです。
 例えば、薬を飲むだけで人格が変わる。
 人間中身が大事だなんていうけれども、中身なんてもともとないのだと思います。
 快楽、幸せなんてものは脳内の神経伝達物質でコントロールされている。
 優しさなんてのも、つまりは快楽物質の量ですよ。
 精神と神経伝達などの関連についての生物学的研究が進んでいるのは、
 躁鬱に代表されるような気分の高低や、
 攻撃性などにとどまっていますが、
 私はそれを人の『善』と『悪』の研究まで進めたいと思っている。」

坂真下は、表情をひきしめ饒舌に語った。
Aは心底楽しそうにニヤニヤと笑いながら、その話を聞いていた。


「私は、心理学と社会学の教師でありますが、聖徒でもあるのです。
 人の善悪のなんたるかを知りたい。
 そのためには、部分だけ突き詰めてもだめです。
 心理や社会などの統計学的側面、脳科学を筆頭とした生物科学的側面、
 そして宗教。
 まぁ、話が長くなりましたな。つまり、あなたにお願いをしたい。」

「くっくっく なんですか。」

「あなたは、スイッチが切り替わったように善から悪へと変貌した。
 そしていまでも、『あぁ後遺症が』という口癖に表れるように悔恨的な瞬間があるという。」

Aの表情からふと笑いが消えた。

「あなたには極端に、善と悪の切り替わりがある。
 つまりあなたを研究対象として、
 善と悪の境界線がなんたるかというデータをとりたい。
 心理検査、血液など身体的物質の採取、などの御協力をお願いしたい。」

「僕を調べれば、善と悪のなんたるかがわかるのですか。」

「必ずなんらかの結果は得られると思います。
 そしてあなた自身も救えると思います。」

「あなたは、『善』と『悪』をとことん知りたいのですね。」

「はい。それが私の生涯の研究ですから。」

「僕にも、知りたいことがあります。先生協力してくださいますか。」

「もちろん、私にできることであれば。」








しばらくすると、Aは個室からひとりでふらりと出てきた。
視線は宙を泳いで、薄ら笑いを浮かべていた。

「A、客はどうした?」

「彼は善と悪を知りたいらしい。善から悪へ変わった俺を調べれば、それがわかるらしい。」

「それで?」

「交換条件をだした。」

「何?」

「俺は事故で死にかけたんだ。境界線をさまよった。生きてるってなんだろうね。」

「A?」

「俺は生が何なのか知りたい。
 あいつの理論で言えば、生から死に変わった人間を調べれば、それがわかる。」

Aは、自分の手のひらをみた。

「結局なんもわかんなかったなぁ。」



ドアがAの背後でふわっと開き、床に死体が一つ。
坂真下教授は、首に青黒い指圧の跡をつけ十字を切るようにして手を組み、
白目を剥いていた。


数秒の沈黙のあと、
誰かの悲鳴をきっかけに、
社内が混乱にまみれた。


Aは顔をあげ、社内をみまわし、もう一度自分の手のひらを見て、
ふと我に返ったように悲しそうな目をして、
そのまま顔を覆ってこうつぶやいた。



「あぁ後遺症が」















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by dasein100-1 | 2006-02-28 02:08 | 035 後遺症