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031





故障




会議を終え、ばらばらとオフィスに戻ってくる人々の波に、
北川明人は半分寝ているような顔で紛れている。
結局、無駄な会議だったな。
大げさに伸びをし、首を左右に曲げ、コキコキと骨を鳴らす。

「あー。だるい。」

書類の散らかったデスクに戻ると、
隣の席の神山がキーボードを叩きながら横目で北川を見た。

「会議おつかれ。」
「あぁ。」

神山の顔はいつにも増して悲愴だ。
目の下には隅ができ、多忙な業務でげっそりと頬がこけ、彫りの深い顔立ちに一層陰影を与えている。コイツはいまに血でも吐くんじゃないか。本気で物騒な想像をしてしまう。
「神山、大丈夫か?」以前そんな風に声をかけて、
「俺、そんな貧相に見える?」と逆に不機嫌にさせてしまったことがある。
神山は心配されることが嫌いらしい。
北川は今また口まで出かかった労りの言葉を飲み込んだ。
そんな北川に気付く様子もなく、神山はパソコンの画面を睨んで作業を続けている。

「そうだ北川、さっきから何回か携帯鳴ってたぞ。」

デスクの上で携帯電話の画面が光る。
青く点滅する画面には『不在着信』の文字。

「ああ、本当だ。」

知らない番号からだった。



私的な電話をするときは、トイレの個室にこもる。
別に廊下の端でも屋上でも構わないのだけれど、なぜかここが落ち着く。
特に意味はないのだけれど、電話をするときは眼鏡を外すのも癖になっている。
ついでとして、煙草も吸う。
喫煙室は落ち着かない。
薄暗く冷えた空気の中、腕を組みドアの内側に寄りかかり、北川は携帯を耳にあてる。
『メッセージは1件です』という留守電の声。
ピーッという信号のあとに、女性の声が流れる。

『もしもし、角谷新聞社の武田と申します。このたびは安部定行写真賞に御応募いただきありがとうございました。北川様に、安部定行写真賞の大賞受賞のお知らせがあり、御電
話いたしました。』


阿部定行写真賞?


携帯が手から滑りおちる。
ガコッという音のあとに、ポチャンという音。


阿部定行写真賞。
嘘だろ。


もう一度メッセージを聞きなおそうとして、
手のひらに載っていたものの感触がないことに気付いた。
携帯…
水の底に見える黒い機体。
2、3秒意識が飛び、突如冷や汗が流れた。
しかしいったい何に動揺してるのかもよくわからなくなっていた。




阿部定行写真賞は、歴代にも多数の有名な写真家を排出しているような権威ある賞だ。
尊敬するアーティスト達の経歴に刻まれている賞。
そんな大層なものを受賞してしまった。
当然のように慌しく取材を申し込まれ、たくさんの人たちに興味を持たれた。
嬉しさの前に、どうしようという思いが先立ったまま、
自分に降りかかってくる物事をこなしていくのにせいいっぱいだった。

実感が沸いてきたのは、
2週間も経ってようやく休みらしい休みを過ごせたときだった。



狭い部屋に、生活感溢れるゴミが散らばっている。
北川はそれらを手あたり次第に掴み、片手に持ったビニールに豪快に放り込んだ。
散在した撮影用の機材やフィルムを丁寧に脇に寄せ、
なんとか足場になるスペースを作ってみる。

「おめでとう!本当っにおめでとう!」

飯田はドアを開けるなり北川の腕をとってぶんぶんと振り回した。

「あぁ、うん。」

その勢いに圧倒され、北川は半笑いを浮かべてされるがまま体を揺らされる。

「嬉しくないの?」

気の済むまで北川を振り回した飯田は、そのテンションの低さに不服なようで、
北川の腕を気まぐれに離した。
急に解放された北川は、酔ったようにふらりと傾き、ずれ落ちそうになる眼鏡を慌ててただした。

「いや、嬉しいよ。あれぐらい嬉しい。」

北川が眼鏡を押さえつつ部屋の一角を指差す。
その先には阿部定行写真賞を発表する写真雑誌の同じ号が、何冊も積まれている。

「うわー、北川バカだね。私も5冊買っちゃったけどさ。」

飯田は再び北川の腕を持って嬉しそうに再び振りまわす。
そのとき飯田の後頭部でゴンと鈍い音、神山が缶ビールの入ったコンビニの袋を掲げ
て、飯田の背後から顔をだした。

「早く中に入れよ、寒いだろ。」

相変わらず顔色の悪い神山の顔は、寒さで一層尖って見えた。

「あ、悪い。入って。」

神山と飯田は、微かに見える畳の部分につま先を立てて北川についていく。

「これってさ、全部写真撮るときに使うもんでしょ?」
「そうそう。お前ら踏んだらころすぞ。」
「北川って本当に写真バカだったんだな。知ってたけど、想像以上だよ。」
「まあね。あ、狭いけどそこ座って。」

3人は丈の低いテーブルを囲んで座る。

「よし、乾杯しようぜー。」

飯田が小さく拍手をし、正座をする。
ビニール袋からビールを出し、手渡す神山。

「あ、ちょっと待った。」

神山は配ったビールを回収し、それらを数回上下に振ってから再び返す。

「まじで。」
「北川、おめでとう!」

3人の歓声とともにビールの泡が飛ぶ。
飯田と神山は北川に襲いかかり、ビールをかける。
北川の眼鏡が泡で白く曇る。


幸せだ。
幸せだけど。まだ気持ちに引っかかって消えないものがある。




賞を受けた写真は、
どこにでもあるような街で、どこにでもいるような人を撮ったものだった。
休日によく行く街で、休日になるといつも会う人を撮ったものだった。
彼女がその街で暇をつぶして歩く姿を、断りなしに撮った。
撮った写真を見せると、なかなか素敵だと言って喜んだ。
そんな普通の写真だ。

基本的に作品として人物を被写体にするのは、趣味じゃなかった。
だからこの写真は本当に投稿するつもりはなかった。
遊びにしては思いがけず新鮮な感じがして、
期限ギリギリまで思うようなものが撮れず悩み苦しんでいた賞に
半ば自暴自棄になり投稿してみたものだった。
「してみた。」その程度の思いが、
長年目標にしてきたものを達成してしまった。
どんなに自信があった作品でも届かなかったものなのに。
これまで積み重ねてきた写真はなんだったのだろうか。
何度も落ち込んだり立ち直ったりして、模索してきた日々はなんだったのだろう。
それを思うと、少し苦しい気分になった。

今回の写真には、今までの写真に足りなかった何かがあった。

そういうことだろう。
でもそれは、何だろう。
自分で掴みきれていないものが評価を受けたことに、正直困惑していた。

もちろん幸せだ。死ぬほど嬉しい。
しかし、それを感じるのと同時に絶望もよぎる。
100%と0%が同時にやってくる、不思議な感覚だった。




この街にくると、落ち着く。
眼鏡を外し、北川は手にした1眼レフのファインダーを覗き込む。
レンズにぼんやりと像が写る。
ピントを合わせると、その中心に1人の女性が写る。
ファインダー越しに近づいてくるその人が北川の前で立ち止まる。
北川はカメラを降ろし、眼鏡をかける。

「どうも、このたびは。」
「どうも。お世話になりました。」
「本当によかったね。おめでとう。」

写真の中でノンスリーブだった彼女は、
冬になった今ではコートにマフラーを巻いている。
おめでとうを繰り返され、
北川は泣きそうなくらいの笑顔で、ただ何度も頷く。


「『前衛的でハイセンスな構図、それでいて計算を感じさせない、エモーショナルな作品で
ある。』よくわかんないけど、すごく褒められてるんだね。」
「まあね。」

北川と絵梨はカフェに入り、テーブルの真ん中に写真雑誌を開いた。
『阿部定行写真賞 北川明人』の文字に、A4サイズに特集された記事。

「『エモーショナル』って批評されたのは初めてなんだ。」
「感情がこもってるってこと?」
「うん、まぁーそうなのかな。」
「つまり、モデルが良かったってことね。」
「それはどうかな。」
「ほら、ここに『モデルが実に素晴らしい』って書いてあるよ。」
「書いてねーよ。」

北川は笑いながら雑誌を引き寄せる。
絵梨も笑う。
注文したコーヒーが運ばれ、雑誌を閉じる。

モデルがよかったんだと思うよ。本当に。
でもさ、だからこの先どういう写真をとればいいのかわかんなくなってきた。
言おうと思ったけどやめた。
そんなことを言われても、言葉を探して絵梨が困るだけだと思ったから。

それから他愛もない話をしたけど、何を話したんだったかな。
もっといろんな話をしておくんだった。





『脳神経科学物理視覚研究所』という札が掲げられた施設。
中に並ぶのは薄暗く、コンクリート壁で囲まれた無機質な部屋。
そのひとつに、白衣を着た東和友と北川が向き合っている。

「それで?」
「悔しいんです。」

東は写真雑誌と週刊誌を数冊手に持ち、パラパラと目を通している。

「君の写真、いい写真じゃないですか。」

東は、阿部定行賞を受賞したときの雑誌を手に取り、掲載された写真をまじまじと見た

「僕はずっと写真を撮ってきました。主に建造物や風景に拘ってきたんです。これまでも
何度か入賞したことはあったけれど、でも中途半端なものばかりで。どうしても趣味の域
を越えられなかった。」

東は雑誌を閉じ、真っ直ぐ北川を見た。

「人物を入れた写真は生涯初めてだったんです。いつもの感覚で、でも考えすぎずに、自分の好きな街と、大切な人のあるがままを撮ったんです。」
「どっかのインタビューでも君はそんなことを言っていたね。」
「はい。その僕の発言とあの作品が非常に幼稚で、限りなくアマチュアだと」
「どっかの雑誌に書いてあったね、強烈なバッシングだね。君はそれが悔しいと。」
「いいえ。」

北川はパイプ椅子の上で前傾姿勢をとり、焦ったように両手を揉みしだいた。

「そのバッシングの通りなんです。僕自身も、そう思うんです。幼稚だ。あの写真が僕のベストだと評価されるのなら、もう僕にこの続きはない。」
「そこで、完全なる脱却のために手術を考えたわけだ。」
「そうです。お願いします。」

東は立ち上がり、北川に歩みよりその眼鏡を外す。
片手で目の皮膚を広げ、北川の眼球を覗き込む。

「人の目の仕組みは、カメラの仕組みと非常に良く似ている。僕の手術は、想像されるほど複雑ではないんだ。」


北川は手術台に横になっている。
両目をのぞいた全ての部分に緑色のシーツをかけられている。
周囲には白衣の人間が数人と、重厚な装置。

「君が手に入れるものは、目の動きと連動した脳内内蔵型カメラ。つまり、瞬きとともにおちるシャッター。画像の記録をするための取り出し可能な短期記憶メモリー。そして君が失うのは、涙という身体機能と、長期記憶のシステムだ。」

東は手術台のライトを点ける。北川は目を細める。

「これまでの記憶は」
「無くならないよ。手術後からのことを、忘れがちになるだけだ。」

北川は目を閉じる。断片的な映像が浮かぶ。いろんな画が。
街とか人が









「いやー今回もありがとうございます。報道撮らせたら、北川さんがダントツですね。あ、これこないだ言ってた事件の資料です。」

北川は無言でそれを受け取る。

「シャッターチャンスを逃さないコツとかあるんですか。そういえば北川さんって眼力があるというか、なんか人と違う光がありますよね。目に。」
「そうですか。」

爽やかに固まった笑顔の記者に淡白な返事をし、北川はその場を去る。





日の光に眩しそうに目を細める。
徐々に見えてくる鮮やかな空。
ゆっくり瞬きをする。
それと同時に脳内でカシャという音。








北川は頭部を大げさな機械にチューブやラインで繋げられ、ソファーに横たっている。
東が画面上に写る何百枚という画像を見ながら、キーボードを操作している。

「先生。僕、最近幻覚が見えるんです。どっか故障してないですか。」
「幻覚?そんなものが見える可能性はゼロだ。よく調べてみよう。」
「神山や、飯田や、絵梨の写真が最近のメモリーにないですか。画が鮮やかだから、過去の記憶じゃないと思うんです。でもそんなもの撮った覚えがない。」

東はキーボードを操作する手をとめ、北川のほうを見る。そして再び画面を凝視し、
何百枚という画像を連続で処理していく。画面がストップする。
神山や飯田の会社から帰宅する姿、街中での絵梨の後ろ姿などの画像が数枚現れる。
東は北川を横目で見ながら、その画像を消去する。

「北川君は、手術をして何年経つのかな。」
「確か3年です。」
「その3年間の記憶はあるかい。」
「いえ、まるで。3年間ただシャッターを押し続けた写真が残ってるだけです。」
「彼女や友達との関係はどうなった?」
「確か、手術をしてから時を経たずに破綻しました。」
「僕もそう聞いた気がするよ。きっと過去の記憶が回路を通って短期記憶のメモリーに混同してるのだろう。よく調べておこう。さぁ、終わったよ。今日1日分の君の写真はすっかりこの中だ。」

東は目の前のパソコンを軽く叩く。

「あともうひとつ、気がかりなことが。」
「なんだい。」
「最近、シャッターが押しづらいんです。何かが詰まっているような感覚があって。」
「なんだろうね。次きたとき精密検査をしてみよう。」







北川は、3年前に絵梨を撮った街中をふらふらと歩く。
ただ、規則的にまばたきをする。
その度に頭の中でカシャカシャという音がして、シャッターが降りる。
カシャ カシャ カ
おかしいな。
北川は立ち止まる。降りきらない目蓋がひくひくと動く。
どうしたんだろう。
そのうまく動かない目の前に、突如絵梨の姿が現れる。
彼女は北川に気付かずに、雑踏の中を通り過ぎる。
足が自然と前に出る。
1歩、2歩、駆け出して追いかける。
その絵梨の隣に、知らない男の姿がある。
2人はお互いに笑顔をみせ、親しげに話している。
北川の目から、通常の量でない液体が流れる。
路の端に寄り、おろおろしながら顔を隠す北川。

液体が流れる。
重く、ゆっくりと、ゆっくりと目蓋が降り、
ガシャンという不穏な音がして、北川の目が閉じる。


おかしいな。
何も見えない。
















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by Dasein100-1 | 2005-12-09 09:36 | 031 故障