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030




0℃ (砂下)



天井から、パラパラという音がする。
今朝は砂が降っているらしい。
この場所ではたまに砂が降る。
僕はベッドに寝転んだままぼんやりと天井を見つめ、
しばらくその音を聞いていたが、再び目を閉じた。
昨晩、慣れないことをしたからか体がとても疲れていた。
境界線で消えたあの紙はどこへ行ったのだろう。
16℃と書いた紙。

砂の音がする。
たぶんあと30分もすれば、この部屋ごと砂に埋もれてしまうだろう。
その後どうなるかは、試したことがないからわからない。
いつもは、埋もれる前に外へ出ることにしている。
だから今日もそうする。
そして砂の降る中を歩き続ける。
足が沈みそうになるけど、ただひたすら歩く。
ここの砂は白くて軽くてとても細かいから、
睫毛の上にも積もるし、服の中にもたくさん入り込んでくるけど、
それほど不愉快な気分じゃない。
でもこういう日は決まって、とても冷える。
僕はジャケットのポケットから温度計を取り出した。

0℃

壊れてやがる。
いくらなんでも、ここが氷点なわけはない。

ジャケットの襟をたて、僕は背を縮めて歩いた。
寒いな。空は薄い灰色。
こんな空から、砂以外のものが降る景色を見たことがある。
ずいぶん前の話だけれど。
本当に、ずいぶん。
どれくらい前だったかな。
ふと後ろを振り返ると、
地表から50cm出ていたあの部屋は、完全に埋もれて見えなくなっていた。
今日はいつもより、砂の降るスピードが速いらしい。
立ち止まると、足下がずぶずぶと地中に吸い込まれていく。

なんだか、疲れたな。


砂の勢いが増して、目の前がほとんど見えなくなってきた。

ここがどこなのか、ずっと考えていた。

砂浜、化石、風車、正方形の部屋。
果てしなく続く横のライン。
空と海の境界線。
青、白。
降る砂、巻きあがる砂、沈む砂。

思うに、ここは、意識の中だと思う。
生きていた頃、とても大切だった人の「意識」の中。


実のことを言うと、
僕はもう、ずいぶん前に死んだ。

身体が死んだ。体温が消えた。
その自覚ははっきりとある。


昔誰かに聞いたことがある。

「人は誰でもいつかは死ぬ。でもね、例えば君がたった今死んだとしても、
 それは死んだことにはならない。
 身体はもちろん、死んだら拡散して、無くなる。
 でも君を知っている人が君のことを完全に忘れるまで、
 君はその人の意識の中で存在し続ける。」

「そんなの、子供騙しだ。」

「どうして。」

「死んだらどうせ同じだ。僕の意識はそこにないじゃないか。」

「いや、あるよ。」

「嘘つくなよ。」

「本当だって。死ねばわかるよ。」

その話をしたのは、説教臭くて、ロマンチストで、
そのくせ言葉遣いが物騒なおっさんだった。
髪がぼさぼさで、貧乏なくせに葉巻きが好きな大人だった。
彼の言うことは本当だった。

僕は死んでからたどり着いたこの場所を歩き続けて、
わかったことがひとつだけある。


砂の下には時間がある。液体に浸された時間が。


たぶん、たくさんの動物がそこにいる。
本当に数えきれないほどの。
でもそこへいくのは、正直嫌だった。
忘れられたくない。
あいつの意識の底へ、沈んでしまうのは嫌だ。
砂の下で化石になって、
たまに砂が巻きあがるときに地表に現れて、
でもまた空から砂が降ってきて、
すぐに沈んでしまう。

嫌だよ。

今日はいつもより、砂の降るスピードが速いらしい。
立ち止まると、足下がずぶずぶと地中に吸い込まれていく。

歩けばいいんだ。
でも。なんだか、疲れたな。








「どうしたの。また、例の頭痛かな?」

「先生、私なんだか最近異常に眠いんです。」

「君は昔からよく眠たそうな顔をしていたけどね。」

「朝に弱いのはいつものことなんですけど、
 最近は昼も、夜も、ずっと眠くて、起きてる感覚がないんです。」

「それで、寝ちゃうの?」

「たぶん。寝てるか起きてるのかの境界線も曖昧で。
 どれが現実で、どれが夢なのかわからなくなってきて、怖いんです。」

「薬使ってる?」

「え?」

「睡眠薬とか飲んでる?」

「いいえ、飲んでません。」

「ふむ。そうか。」


私は、以前よく通った病院の診察室の中にいた。
先生は少しだけ白髪が増えていたけど、
昔から笑うと顔がしわくちゃになる人だったから、
年をとってもあまり変わってないようにみえた。

「最近起こったこと、なんでもいいから話してごらん。」

「紙が届きました。」

「紙。」

「何にもないところから、現れたんです。16℃って書かれた紙が。」

「16℃。」

「その紙にはパラパラしたものがついていて、最初砂糖かと思ったんですけど、
 触ってみたら砂でした。」

「砂。」

「それで、その日のお昼にある人に会ったんです。
 名前もわからないのに、知ってるんです。本当に、お互い知ってるんです。
 でもどこか記憶がぼんやりしていて。
 全部思い出しそうになった瞬間、消えちゃったんです。」

「消えた。」

「はい。その人、温度計持ってたんです。その日は10℃だったんです。」

「10℃」

「それで、雪が降ってきて。
 あぁ私何言ってるんだろう。なんだか頭おかしいですね。
 たぶん全部夢だったんだと思います。すごく眠かったから。」

「いや、夢かどうかはわからないけれど。
 僕も知ってるよ、君が会ったというその人のこと。」

「え?」

「ずいぶん前の話になるけど、ここに来てくれたことがあるんだ。
 君のこと心配してね。
 付き合って半年ぐらいの頃じゃないかな。
 君はたまに不安定になるから、そういうときにどうすればいいだろうって。
 僕はそのとき安心したんだよ。いい青年だったからさ。
 君は僕にとって、娘みたいなものだから。
 幸せになってほしいと心底思っているのだよ。
 だからね、もう彼のことは忘れなさい。」

「先生、言ってることが全然分かりません。」

ゆったりとした角度のソファーに横たわり話をしていた私は、
急に全身が地中に沈むような眠気に襲われた。
その私の頬に冷たい手が触れた。
目を開けると、先生が真剣な顔で私をのぞきこみ、
眠らせないぞというように、軽く頬を叩いた。

「彼は亡くなった。とてもよくわかってるはずだ。
 君はその手で彼の体温が下がっていくのを確認しただろう。」

「体温?」

「その青年が息を引き取ったとき、君は手を握っていて、
 それを看取ったと人づてに聞いた。
 さっきの君の脈絡のない話、何度も出てきたのは温度だった。
 君はそれを忘れられないんだ。」


なんだか、眠いな。

冷たい手が、また私の頬を叩いた。

「曖昧にするな。理解した上で、忘れるんだ。」

そんなこと、できるわけないよ。
途方もなく、眠い。






砂が降っている。
僕は疲れて、歩くのをやめてしまった。
もう膝のところまで、砂浜に沈んでいる。
ジャケットに砂が積もる。
あぁ、どうしよう。
いや、このまま沈んでしまっても構わないんだ。
むしろ、ここにいつまでもいることで、苦しむ人がいるなら。
でも、正直言うと、ここにいたい。


砂の中にいる。
これから先は砂の下で、液体に浸された時間がある。
もうここまでくれば、
あとはその柔らかい液体に身を委ねて、化石になるのを待てばいい。

ずいぶん前の話だけど。
たぶん、生きていたことに意味なんかなくて。
温度があって、それでよかったんだと思う。
それだけで。








朝がきて、いつものようにアラームが鳴る。
目が覚めた。
トーストを焼いた。
コーヒーをいれた。
砂糖をこぼした。

私は、理解をした上で、忘れた。

コーヒーを飲みながら、ふと考えた。
週末海へ行こう。
なんとなく。
この季節じゃ、死ぬほど寒い気がするけど。


なんだか急に泣けてきたけど、
たぶん意味なんかない。
たいして胸は苦しくない。

意味なんて、どこにもない。
温度があった。
ただ、それだけ。












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by dasein100-1 | 2005-11-04 04:43 | 030 0℃(砂下)