カテゴリ:028 16℃(砂上)( 1 )

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16℃ (砂上)




朝がきて、いつものように砂浜に出て歩く。
眩しい。空が鮮やかに青い。
その鮮やかさが、不自然な感じさえする。
砂を踏むとザッという音がして、足元の細かいそれが舞った。
ここの砂はとても軽い。そして白い。
舞う砂の向こうには、長くてゆっくりと旋回する影が見える。
風車。
この砂浜には大きな風車がある。羽も柱も白くて、巨大だ。
砂の色と変わらない。
だからもし風車が倒れたとしたら、
全てが白くて見分けがつかないかもしれない。
それは一大事だ。

砂浜には風車のほかに目立つものは何もない。
だから風車が倒れたら、それは一大事だ。
視界に横のラインしかなくなってしまう。
そんな風景に慣れてしまったら、
いずれまともに立てなくなる気がする。
立っている自分の体が本当に垂直になっているのかどうか、
きっとわからなくなってしまう。

ここに複雑なものは何もない。
だからそんなことを考えて暮らしている。

ここに複雑なものは何もない。
敢えていうなら、風車のほかには家がひとつある。
それは80%が砂浜に埋まっている。
巨大なミサイルの発射ボタンのように、
地表から50cmくらい、天井にあたる硬質な正方形が突出している。
その中心にある丸いマンホール形の入り口から入ると、
中も正方形に囲まれた無機質な空間になっている。
大きさは、ヒト1人と、犬2匹と象が1体が入ってぎゅうぎゅうになるぐらいだ。
家というよりも、箱。
その箱は、外も中も白い。
でも色がくすんでいるから砂との見分けはつく。
アイボリーというほど、趣はない。

僕はそこに住んでいる。



16℃。


空気が少しだけ痛い。

旋回する風車の影の下から、上を見上げる。
眩しい。空が鮮やかに青い。
不自然な感じさえする。

冷えた空気の中では、海も空も格別に青く感じる。
原則の青だ。イデアの青。
イデアの砂、イデアの家、イデアの風車。
この場所はそんな風に感じる。
「永遠不変で、完璧、あらゆるもの雛形」
「最高度に抽象的な完全不滅の真実の実在的存在」
イデアと言ったけれど、そんなつもりはない。
そんなものはない。
生まれる前のことなんてわからない、死んだ後のことも。
生まれたことや死んだことさえも、自分自身では認識できない。
だから、永遠とか、完璧なんてものはない。
他に表現の仕様がない。それだけだ。

ところで、
いったいここはどこなのだろう。
もう長いこと、毎日毎日、広くて限りのない海岸を歩き続けてきたけれど、
さっぱりここがどこなのかわからない。
どこをどう歩いても、結局。
風車と箱のあるこの場所に戻ることになる。



急に風が吹いて、砂が巻き上がった。
髪がグシャグシャになり、大量の砂が顔をかすめていった。
いつもの現象だ。
この数秒、何も見えなくなる。
最初は驚いて、荒れる砂に囲まれて身を固くしていたが、
もう慣れた。
ただほんの数秒、砂に視界をふさがれるだけ。
だからその間、寝ることにした。
ここにきてから思いついた遊びだ。
瞬間、意識を、意識的に飛ばす。
意識的に、無意識になる。
これがやたらと難しくて、飽きない。

でも一度だけ成功したことがある。
今日のような少し肌寒い日で、砂は高く舞い上がった。
その中にいたのはほんの2、3秒。
意識を完全に無くして、リアルな夢を見た。
店にいた。確か、そこには行ったことがある。
誰かと話をしていた。音楽が流れていた。昼間から赤いカクテルを飲んだ。
あんなにはっきりと見た夢なのに、もう曖昧だな。
テーブルに向かい合った人の笑顔だけを、しっかりと覚えている。


砂が通り過ぎると、目の前に白い骨格が現れた。


化石。


砂の混乱が去ると、現れる。
ただ果てしなく続く砂浜に、化石が孤独に立つ。
穴の空いた頭に長い首、その先に細く並ぶ肋骨が2mほど続く。
ヒレだか脚だかわからないものが、骨格を支えている。
たぶん、海竜のような動物だったんだろう。

ここにきてから、いろんな化石を見た。
どうやら、砂の下にまだいるらしい。
なぜか昼間になると、
高く砂を巻き上げ、不意に地表に出現する。
どれだけの動物が埋まっているのか、今のところ想像がつかない。





ここを毎日歩くようになって、わかったことがひとつだけある。


砂の下には時間がある。液体に浸された時間が。
だから足が沈む。
もつれて、動きを捕られるが、今のところはなんとか歩き続けている。


ここを毎日歩いているが、それ以外はなにもわからない。
それまではわかっていたことも、忘れてしまったような気がする。
忘れたことの割合のほうが、大分多い。





歩き疲れたら、家に帰る。それは覚えている。
帰ろう。




ジャケットを脱ぐと、普段よりも砂が入っていて、
それはパラパラと床に落ちた。

正方形の家には、ペンと紙がある。
文字も覚えているし、言葉も失ってはいない。
ペンや紙の使い方もわかる。
目的を忘れてしまったから、使っていない。
いつもはただスチール椅子に座り、
ぼんやりしているうちに夜がきて、眠る。
今日はなぜか、知らず知らずのうちにペンを手に取っていた。
もちろん、これが何をするためのものなのか思い出したわけではない。
スタンドライトも点けず、
ただペンを持ち、紙と直面し、しばらく固まっていた。


「16℃」

やっとそれだけ書いて、ペンを置いた。


どうしたんだろう。
自分自身が全くわからない。


時計は持ってないけれど、僕は小さな温度計を持っている。
16℃は今朝の空気の温度だ。
僕の手は、そんな意味のない数字を書いた。
何のために。


確かここにくるまえは、理由のわからないことが一番辛かった気がする。
今は全てがわからなすぎて、
平気になってしまった。

でもペンを置いた手が、少し震えていた。
慣れないことをしたからだろう。


左手で紙をつかみ、ふたたび外へ出た。
外はすでに暗かった。
足が沈んでしまわないように気をつけながら、砂浜を歩いた。
日が落ちた直後で、海と空の境界線が曖昧になってきている。
もうすぐ、全部が夜になる。
紙を水平に持ち、その消滅しそうな境界線を測った。

境界線。
紙と水平線のラインがぴったりと重なり、日が完全に落ちた。

あぁ、真っ暗だ。

目が見えなくなると、体の感覚が冴える気がする。
紙を持つ指と指の間に、
さっきまでは気がつかなかった細かな砂があるのを感じた。
それを払おうと手を開くと、砂がさらさらと少し零れただけで、
紙が消えていた。

消えた。


風はなかった。飛ばされたわけではない。
指を離した覚えもない。
でもどこにもない。
もう一度手のひらを目の前にかざしてよく見てみたけれど、
消えた。





頭痛がする。
歩き疲れたから、家に帰ろう。
そして、眠ろう。


明日の朝になれば、また青い海が見れる。
砂浜を歩いて、化石に出会って、
とにかく沈まないように歩いて、
そうすれば少しずつ、
なぜここにきたのかわかる気がする。











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by Dasein100-1 | 2005-10-29 09:12 | 028 16℃(砂上)