カテゴリ:016 変身、その1( 1 )

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変身、その1



ふらふらする頭を右手で支えて、洗面台に立つ。
柔らかい髪が好き勝手に目の前に落ちてくる。
邪魔。無造作に掴んで、ざっくりと後ろに流す。
現れた顔。それにしても、美人。
我ながらに。


でも正直言うと、見覚えがない。
誰だこの人。
鏡の前に立ったとき、それが自分じゃない可能性がどこに?


睫毛が異様に長い。
視界の内側、存在を感じさせる高い鼻。
首を捻ると、美術の石膏モデルのような横顔が鏡に映る。
目の窪み、直線的な鼻梁のライン、薄い唇、尖ったあご。

この顔は、初めて見る。
二日酔いで、ありえないほどブサイクになることはあっても、
こんな願ってもない事態は25年間、無い。



確か昨日は会社帰りに友達と飲んだんだ。
度数の高いカクテルに久々に楽しくなってしまって、ぐでぐでに酔った。
それで。それで?


そのべろべろの状態で美容整形なんとかクリニックに行ったとか。
いやその前に、勧められた「ジャマイカ・ジョー」に翌日美人になる薬が混入してたとか。
違うな。エミコに頭をはたかれたときに、顔の中央が突出したとか。

…冷静になろう。


一番可能性が高いのは、これは「夢」だということ。
夢だと気づく前に目が覚めるのが普通だけれど、
そうじゃない日が一日ぐらいあってもおかしくない。


ちょっと待って、
目が覚めるからこそ、それが夢だとわかるわけで。
さっき私は目が覚めて、それで顔を洗おうと思って鏡の前へ…


ああ、もういい。
どうせ夢なら楽しもう。さあどこへ行こう。

服に着替えて気がついた。
体のサイズは同じだけれど、細かい部分が今までと違う。
肉のつき方とか、脚の形とか。
完全に別人だ。私の体じゃない。


「あのう。」

ストッキングに片足を突っ込んでるときに、床から声がした。

「はっ?!」

変な生き物がいる。
ペットボトルのふたを立てて置いたぐらいの大きさ。
の、作業服をきたおっさんだ。

私は小さい悲鳴をあげ、バランスを崩して床に転んだ。
地にすれすれの視線からよく見ると、
作業服のおっさん(小)は申し訳なさそうな表情をしていた。

「あのう、すみません。いろんな手違いがありまして。誠に申し訳ありません。」
「手違い?」
「はい。ボデーとブレインの差し違いが。」

ボデー?ボディのこと?
だとしても何を言ってるのかわからない。

「私のせいです。いや、まぁ、そうかもしれない、とまでは言えませんが。」

どっちだよ。

「なんでもいいけど、ちゃんと説明してください。」
「つまりですね、じゃ、とにかくついてきてください。」

おっさんが歩くと、テケテケテケテケという効果音がなった。
ストッキングをちゃんと両足にフィットさせてるあいだ、
彼はまだ2mも進んでなかった。

「で、どこまで行くんですか?」
「隣の部屋です。」
ドアは少し開いていた。
どうやって入ってきたのか聞こうとしたけれど、
おっさんは腰の辺りを拳で叩きつつ、息を切らせて歩いていたから
なんだかしゃべらせるのがかわいそうでやめた。
体が別人になったことに比べれば、そんな疑問はたいしたことじゃない。

隣の部屋もカギがかかってなかった。
そっと中を覗き込むと、ソファーにもたれて寝ている女が見える。
とても見覚えがある。
どうやら私らしい。

「入って入って。」

おっさんに催促されて、おそるおそる部屋にあがる。
自分の姿が近づくにつれ、その異変に気付く。
昨日の服のままだらしなく体を投げ出して、
ソファーからはみだした首をがっくりと後ろに流している。
その顔を覗き込む。
白目を剥いて、口も半開き。なんて間抜けな。
いや、そんなことより。
額に3×4cmくらいの長方形の空洞ができている。

「なにこれ。」



「もう大丈夫ですから。いやぁ、本当にお待たせしました。」

床から、おっさんの声がした。
しかしそれは、私に向けられた言葉ではなかった。
いつの間にかおっさんの隣にまた妙な生き物がいる。

銀色で、飛び出しそうな黒目で、ひょろひょろとした…あれだ、あれ。
ロシア人に両側から手をひかれてぶらぶらと浮いている写真で有名な。
おっさんと同じサイズのそれが居る。
表情の無い大きな目が私を見上げている。


「つまりね君は今日こっちのボデーを担当するはずだったのに、
 私が部屋を間違ったためにややこしいことに。申し訳ない。」

おっさんは私に体から出てくるように指示した。
体から出るって。

「そんな、そんなことわかりません。」
「いやいや、今までもちゃんとやってきたでしょう。」
「まさか。体から出る話なんて聞いたことないし。そんな方法習ったことありません。」
「君、人には言えないあんなことやこんなことを、学校で全部習ったというの?」

銀色の生き物が黙って私を見上げている。
おっさんが少しいらついたように私をせかす。


「だからね、こう眉間にしわをよせて、ぽんっと出ればいいのよ。ぽんっと。」


なんで逆上がりができないの?
なんで自転車に乗れないの?

そんな風に責められた気分だった。
私は言われたとおり眉間に力をこめ、自分が体からでるイメージを必死で描いた。




カパッ

額で音がした。
頭の中がどぉーんと一回大きく揺れ、
そのあとは妙な解放感で、世界がひとまわり大きくなったように見えた。



「はい、じゃあ君はそっちね。」

焦点を合わせると、
さっきの銀色の生き物が巨大化して目の前にいる。
隣のおっさんも。
後ろを振り返ると、ものすごく大きな顔面があった。
さっきまでの私の顔。
白目を剥いて、額に長方形の空洞がある。
そこに扉がついていて、ぱかぱかと宙で揺れていた。

銀色の生き物が私の横を素通りし、走ってその空洞に飛び込んだ。
中から扉をしめ、消えた。すぅっと扉の枠が肌の色に馴染む。
次の瞬間、ぶるっとその大きな顔面が震え、
綺麗な黒目がスロットのように目蓋の裏から降りてきた。
そして何事も無かったかのように立ち上がり、
服についた埃を払って部屋を出て行った。



「あっちのボデー、ブレイン留守にしてしばらく経ってるから最初気分悪くなるかもしれないけど、頑張ってね。じゃ、私はこれで。手違いがありまして申し訳ありませんでした。」


おっさんは業務的な丁寧なおじぎをして、どこかへ去った。
そのテケテケテケテケという足音が消えるまで、私は呆然としていた。



あとは残された体に近づき、
穴の空いた額に飛び込むこと以外、することはなさそうだった。



いまいち納得がいかなくて、首をかしげながらソファーをよじ登った。
そのとき、テレビの横に立てかけてた全身鏡に、
自分の姿が映るのを見た。





ソファーにしがみつく、銀色の妙な生き物がいた。















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by Dasein100-1 | 2005-01-29 00:07 | 016 変身、その1