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011




マボロシ



年老いた科学者の書斎に現れたのは、30年前に死んだ娘だった。
娘はドアの前に立ち、小さな頭を傾けてじっとこっちを見ている。
科学者は手招きをした。
娘はその場から動かない。
9歳の誕生日に買ってあげた服を着ている。
そう、少しサイズが大きかったんだった。
手の先まですっぽりとふわふわのセーターで隠れてしまっている。
科学者は微笑んだ。

「君はその、幻だな?」

娘は驚いた顔をし、ゆっくりと頷いた。

「そんな風に言われたのは初めてです。」
「うん。僕は科学者だから。」

窓から風が入り、カーテンが揺れた。
たいていの場合、そういう瞬間に幻は消える。

けれど彼女はまだそこに居た。

「質問していいですか。」
「父親としての僕に?」
「科学者としての貴方に。」
「いいですよ。僕は正しい科学者ではないけれど。」

科学者は手招きをした。
幻は静かに移動し、ソファーに座った。

「私は幻だから、いつでも他の誰かでしかいられない。」

幼い娘はいつの間にか、20歳ぐらいの女性に変わっていた。
娘は9歳で死んだ。
だから彼女は科学者の想像の産物である。
それはわかっている。けれど感情はその理解を拒んだ。
声も姿も、幼い頃の面影を残したまま大人になった娘は、
妻に似て綺麗な横顔をしていた。

「そのことが不満ですか?」
彼女は首を振った。
「いいえ。それでいいと思っています。」
「幸せですか?」
「はい。それなりに。」
「よかった。娘の姿をした君には不幸せでいてほしくない。」

彼女は眉を寄せ、年老いた科学者を睨みつけた。
部屋の空気が揺れて、机の上の紙が舞った。

「それは父親としてのエゴです。」

科学者は傍にあった紅茶を飲み、一息ついた。
僕は無意識に、大人になった娘に怒られることを夢見ていたのだろうか。

「すまない。娘の話はいい。幻である君の心配をしよう。」
「それは迷惑です。存在しないことが、私の存在意義だから。」

科学者は笑った。

「自分勝手だな。話があるのだろう?」
「質問があるといっただけです。あなた。」

娘の声が突然若さを失い、ソファーには、別れた妻が座っていた。
離れて暮らしていたが、1年前に先立ったと聞く。
憎んでいたその否定的な口調が、懐かしかった。
彼女は脚を上品に組みかえ体をひねりため息をついた。
話合いをする時のスタイルだった。

「不満があるわけじゃないわ。ただわからないのよ。」
「なんのことだ。」
「存在のことです。貴方は頭がいい、私よりはわかるでしょう。」
「僕は科学者だけれど、哲学者じゃない。」
「幻を現実にする方法はありますか。」
「ある。簡単だ。信じればいい。」
妻はため息をついた。
「信じることは幻と同じです。」
「何がしたい。」
「もう一度あの子と。」
「無意味だ。」
「意味なんか貴方に聞いてないわ。」

科学者は手を組み、妻をじっと見つめた。
「僕は君たちに会えて幸せだった。それじゃダメだろうか。」

妻はゆっくりと脚を組み替え紅茶を飲み、微笑んだ。
「それは昔、私が貴方に言った言葉。覚えていてくれて嬉しいわ。」



ニュースをお伝えします。
こちらは最先端の脳科学研究と高度な医療技術で有名な私立瀬田病院です。
この研究施設に並ぶカプセル型の機械は、H・タナカ博士が中心になり開発された最新式の生命維持装置です。末期患者のターミナルケアや老人の介護問題の解決につながる夢の機械といわれています。

この装置の簡単な説明をいたしますと、患者はこのカプセル型の装置に横たわりヘッドギアを装着することによって、自然に安らかな睡眠状態へと移行します。その後、身体に異変が起きたとしても、麻酔をかけ直すこともなく脳は半永久的に眠り続けます。カプセルの側面には身体を定期的に検診する装置もあり、ケアは万全であるとのことです。
さらにその眠りの間、患者は望む夢を見ることができるそうです。これは記憶と神経伝達を、人工的な電気信号でプログラムすることで実現しました。

つまり、この先自分自身の死の瞬間は、一番スバラシく心地よいシーンとなるのです。
どんな人も病気や老衰におびえることなく、最高の生をまっとうすることが可能となりました。
そして今日、末期ガンと宣告されていたタナカ博士自らが、初めてその装置を使用する患者となります。歴史的に記念すべき日になるでしょう。




「タナカ先生、準備は整いました。」
「タカシマ君。」
「はい。」
「僕は昨日夢を見た。最後の夢だ。」
「最後?先生はこれから嫌というほど素敵な夢を見るんですよね?」
タカシマは快活に笑った。彼は信頼できる男だ。
「少し話をしてもいいかね。」
「もちろんです。時間はまだあります。」


研究施設の広いロビーには、他に誰も居なかった。
病院の外は報道関係の声や音で騒がしかった。
その遠く賑やかな音が、まるで関係のない騒ぎであるような気がした。
「僕は娘が亡くなってからずっと、その記憶に苦しんだ。」
「ずっと、ですか。やはり今も。」
「そうだ。割り切ることができなかった。僕の現実は、いつまでも向こう側にあった。」
「その気持ちはよくわかります。」
「妻は初め、僕と同じだった。けれど変わった。彼女は娘の死を受け入れた。」
「あなたは。」
「ダメだ。どうしても無理だった。だから他のあらゆるものを犠牲にして、今この場所にいる。」
タカシマは黙って頷いた。
「僕は間違っているだろうか。」
「正しいか間違っているかは、それを専門にする人たちが話し合うことです。先生は信じることを行ってください。」
「ありがとう。」
タナカは痩せて骨ばった手を差し出した。
タカシマはそれをしっかりと握った。





放送局のカメラとたくさんの人間が、研究棟の廊下に並ぶ。
重厚な扉を開くと、眩しい照明がサナギように縦列する装置を照らしている。
半透明のカプセルの前で、白い清潔な衣服をまとった科学者は優秀な助手に耳打ちをした。


タカシマ君、最後に頼みがある。
壊してくれ。
そして、『失敗だった』と。
すまない。



その表情はとても静かで、穏やかだった。
彼はこの瞬間、30年ぶりに現実で生きた。
そして科学者は、カプセルに消えた。











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by Dasein100-1 | 2004-11-27 12:22 | 011 マボロシ