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007



消失


頭が痛い。
昨夜のビールがまだ体に残っている。
あぁ吐きそうだ。でもこれに乗らなきゃバイトに遅れる。

ふらふらになりながら駅の階段を駆け降り、
閉まりかけた電車のドアに滑り込んだ。
最悪。もうダメだ。とにかく、座りたい。

席が埋まっている。
出席だけは厳しく取るくだらない授業のようだ。
車内は静かで、整列する人々には生気がない。

隣の車両に、一人分の空間が見えた。
電車が揺れるのと、脳が揺れるのとを、
必死でコントロールしながらその席を目指した。

いざ座ろうとした瞬間、
空いてるはずの席に先客がいた。
手に収まるほどの黒い物体。


ピストル


は?まさか。
いや、当然本物じゃないだろうけど。
なんで電車の座席なんかに。

両側はサラリーマンと学生で、
うまい具合に空間をあけたまま居眠りをしてやがる。
ピストルが置いてあるような席に、座ろうと思う奴なんかいない。
しかし今更、他の車両まで歩く元気はない。
とりあえずピストルが放置された席を目の前に、吊り輪につかまり立っていた。
この格好はかなり不自然だ。
それに二日酔いは増して悪くなっている。
だめだ、気を失いそうだ。

どうせ子供が置き忘れたおもちゃだろう。
よけて座れば問題ない。
席に浅く腰掛けた瞬間、ひどい眠気に襲われた。


全身が溶けるような 眠りだ



シューッ

電車がホームに滑り込む瞬間目が覚め、立ち上がった。
新宿だ。あぶない、寝過ごすところだった。

「あの。」
開いたドアに向かって歩き出すと、後ろから声がした。
居眠りしてたサラリーマンだ。
青白い顔に、上目遣いで俺の顔を見る。

「あの、大事なもの落とされましたよ。」
席に放置されたピストルに視線を移す。
あぁ、そういえば。そんなものが。

「いや、それ俺のじゃないんです。」
「…そうですか。」
見ず知らずの人間に話しかけるなよ。
ちゃんと無関心を装ってくれ。それが常識だ。
俺は足早に車両から外へ出ようとした。
背後から再び声がした。
「あの、やっぱり大事なもの落とされましたよ。」
「は?」

完全に振り向く前に、俺はひどい衝撃と熱い塊を背中に感じ、
ホームへ吹っ飛んだ。
ぐしゃという音がして、コンクリに接吻していた。

明るいメロディの発車音とアナウンスが入り、
身体の横を何事もなく人が行き交う気配がする。
そして電車の音が遠くに消えていった。

ホームに突っ伏したまま起き上がれない。
二日酔いの頭痛は治まったけど、なんか変だ。
生暖かい液体の中にいる。眼球が動かせない。

これはもしかして、アレか。
俺、死ぬのか。
突然過ぎやしないか。

霞んできた視界に、
無関心な人々に混ざって、髪と髭がからまるぐらい不精な爺さんが映った。
片足が湾曲し、不自然な歩き方で近寄ってくる。
徐々にすえたキツイ匂いが漂う。

「おい、どうした。」
顔を近づけて、覗き込まれた。
『いや、なんか体が変なんです。』
「お前は死ぬのかな。」
『さぁ。何がなんだかさっぱり』
爺さんは俺を持ってた杖でつついた。
その様子は目で認識できたが、体の感覚は全くなかった。
「お前が死んだらお前の財布もらってもいいかな。」
そう言ってケタケタと笑った。歯が2、3本しかなかった。
『ダメです。』
「器の小さいやつだな。」
『普通だと思いますが。』
爺さんは再び笑った。
「お前のものなど、もともと何一つとしてない。」
そしてジーンズから財布を抜いた。

聞こえるかどうかわからなかったが、つぶやいてみた。
『せめて財布は返してください。』
爺さんは振り返った。
笑ってなかった。
金だけを抜き、俺に財布を投げて返した。
肩にぽそっとそれが落ちた音がしたが、
感覚はなかった。

視界が狭まってきた。
唇が硬直し、もうつぶやくこともできない。

なにか入ってたっけ。
財布に、なにか大事なものが。
あぁそうだ。
俺を証明するプラスチックの板や、
俺を入れていた箱を開けるための鍵や、
俺を繋いでいる人の顔が映ったシールや、
それと、それと

あとは


どうせいつかは なにもかも

だから

おれのものは もともと なにひとつとして ない

だいじなものなど なにひとつとして


思考は曖昧になり巡回して消失した。









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by Dasein100-1 | 2004-10-22 01:14 | 007 消失