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バス待ち



K高校前のバス停から乗ったバスは、
2人席に1人ずつ、ちょうどいい具合に席が埋まっていて、
そのどれかを選んで「すみません」と言いながら他人の横に座るのは
めんどうで、
駅までだいぶ距離があったが、立つことにした。


文庫本にしようか、ipodにしようか迷ったが、
結局ゆれたバスの中でバックを探るのが
めんどうで、
ただぼんやりと窓の外を見ていくことにした。


歩道を歩く人をバスの中から見る。
こんな風に知らない人から無遠慮に見られてるなんて、
歩いている人はまるで意識してないだろうと思うと、
自分が見られてるような気がして、
気分が悪くなって視線を車内の広告に移した。


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興味ないな。


バスが交差点を大きく旋回して、
身体がぐらりと揺れる。
ガタガタッとヒールで派手な音を立ててしまう。


立ち仕事で疲れがたまっているのは自分でもわかっている。
正直、座りたい。

ぐっとつり革をつかみ転ばないように耐えていると、
後方の席に座っていた男の人が
髪をいじり、マフラーを首に巻き、立ち上がるのが
窓の内側に映って見えた。

次の停留所を伝えるアナウンスが流れた。

よかった。座れる。

その人が完全に席を離れてしまうまで、様子を窓で確認した。
狭い通路で軽くお互いの背中がすれ、
見えないと思ったがとりあえず会釈して空いた席に落ち着くと、
ふと眠気がおそってきた。

駅まで寝ていこう。


目を閉じた途端、左腕に何かが触れる。
空いてる片方の席に誰かが座る。

まだ停留所についてないはずで、
人が乗ってきた気配はないのに、
なんなんだ。


目を開けると、横には
しらじらしくマフラーをとり、
パカッと携帯を開けて、閉じて、
座席にもたれかかってくつろぐ男がいた。

隣に座ったのは、さっきまでそこに座っていた男だった。
立ち上がって、降りる準備をしていたはずの。


なんだこいつ。
降りるとこ間違えたのかな。

「いやいや、そういうわけじゃないんだけど。」

何も言ってないのにいきなり話しかけてきた。

関わらないほうがいい。

わざと窓のほうを向き、
視線を合わさないようにする。

「立ってるの辛くなかった?よかったね、座れて。」

よかったね?
わざと立つふりして席譲ってくれたってこと?
じゃなんで横座ってくんだよ。

きっと次に『どこ行くの?駅まで?俺も俺も』
とか言ってくるんだ。
ああ、めんどうなことになったな。



でもそれから隣の男は一言もしゃべらなった。

そもそもバスは駅に着かなかった。

よくわからない道を走り続けて、
そのうち外は雪が降ってきて、
停留所のアナウンスも流れなくなって、
誰も「降ります」のボタンを押さなくて、

雪がやんで、
また雪が振ってきたと思ったらそれは桜の花びらで、
桜が散るその中をバスは走っていた。



「今年の桜は散るのがあまりに早いね。」
「そうだね。」
「もう少しもつと思ったけど。」
「こないだの強い雨にやられたんだよ、きっと。」
「桜は弱いね。」
「うん、弱いからいいんだよね。」
「そうだね、そういうものだよね。」



バスの中で誰かが小声でしゃべっている。
背伸びをしようとしている、
幼い声。

首をのばして声の主を探すと、
前のほうに小学生の女の子が2人座っている。


隣の男も首をのばし、その可愛らしい話を盗み聞きしている。

それから、この人はことあるごとに
『そうだね、そういうものだよね。』
という彼女達の真似を繰り返すようになる。

そんな気がする。
なぜだか、そんな想像が瞬間的に頭に浮かぶ。
記憶なのか、想像なのかわからない。



その口真似は3ヶ月は飽きずに続く。

「ねー洗濯物が乾かないよ。これ今日着たいのに。」
「乾かないからいいんだよね。」
「は?」
「そうだね、そういうものだよね。」

「もうそれやめなよ。」

イライラして、私がそう言うまで。



これが想像だとしたら、
どうしてこんなにリアルなんだろう。




バスの中は、だんだん騒がしくなってきた。

1人ずつ座っていたはずの席が、いつの間にか人で埋まっている。

5歳くらいの男の子とお母さんのいる席から、
「危ないから開けちゃダメ」
という声と同時に、
突然強い風と一緒に桜が舞って入ってきた。


そして、眩しい光が窓から入ってきて、
いつの間にか車内の天井にある扇風機がまわりだした。

バスは海沿いを走っていた。



見たことがあるような、ないような海だった。

堤防があった。


日焼けと言えないほど色素が沈着した黒い肌に、白い無精ひげ、
骨と皮だけのような腕で、
釣りをしているおじさんがいた。


「釣れますか?」

安易に声をかけたら、怒鳴られた。

「そういうこという奴がいるから釣りがつまんなくなんだよ!」

よくわかんない理屈だったが、掠れた声であやまった。
機嫌が悪かったのか、なんなのか、
たいしたことじゃないけれど、
大人になって誰かに怒鳴られるのはショックだった。

とにかくその場を早く離れようとしていたのに。


「釣りがつまんないわけねーだろ!チビ!」

と、後ろにいた男が怒鳴り返した。


沈黙が流れて、波の音がした。


一瞬何が起こったかわからず、数秒後我に返ってあわてて振り返ると、
男は怒鳴った割に普段と変わらない表情で、

「釣りめちゃくちゃおもしろいよね。」
と、拍子抜けするような口調でさらにおじさんに話しかけた。

黒くて痩せてて確かに背が低いおじさんは、
急に怒鳴り返された上に昔からの知り合いのようなれなれしさで話しかけてくる
わけのわからない男にただ驚いていて、声をださずに小さく頷いていた。

で、釣れてんの?

と言って、勝手にクーラーボックスを開けようとするその腕をひっぱり、
堤防の上を早足で帰った。




これも想像だろうか。




いつのまにか蝉の声がしなくなって、
静かになり、
今度はイチョウ並木の下でも走るんじゃないかと思っていたら、
本当にそうなって、
黄色い葉がばさばさと落ちる中をバスは走った。


隣の男はあれからずっとずっと黙ってて、
ときどき携帯をパカッと開けて、時間を確認して、閉じた。




「まだこない。」

きまぐれに突然発せられたその声に、なぜだか瞬間緊張する。

男は少し首を伸ばし、左右を確認するようにきょろきょろしてから、
またどさりと座席に沈んだ。


「何がこないの?」

関わらないようにしようと思っていたのに、思わず言葉を返してしまった。

「バス。」

「え?」

「バス待ってんだけどなかなかこないんだ。」


そのとき、ちゃんと顔を見た。
でもすぐ見るのをやめた。
苦しくて、話せなくなりそうだった。


「…バス、こないと思うよ。」

「なんで?」

「なんでって。いま、乗ってる。」

「あ、あーなるほどね。」

男は驚いた顔をして、そのあと心底納得したように何度か頷いていた。

頭がおかしいんじゃないかと思ったけど、
そのおかしなところと、
素直すぎる仕草に、全ての感覚が慣れていた。


「じゃーしょうがないや。これも要らないな。やる。」

そういって、持っていた携帯を私の手に載せた。

「言っとくけど、それ時計がわりにしかならないから。」

縁が傷だらけの黒い携帯だった。

「3年もったんだ。すごいだろ。」

何かがついてたはずなのに、切れてしまった。
そんなストラップの破片がついていた。

また雪が降ってきた。
嵐のように激しくなってきて、走るバスの窓にさえ雪が積もって、
外が見えなくなる。


「そろそろ降りなきゃ。」

突然男はそう言って、
髪をいじり、マフラーを首に巻き、
降りる支度をはじめた。


「こんなときに?外すごい嵐だよ。」

私の言葉には答えずに、
マフラーを首にもう一回転させる。
鼻まで隠れて苦しかったのか、
もごもごと顔を動かしながらマフラーから抜け出そうとしている。

私はイライラして、マフラーをはずしてやる。
それを待っていたかのように、
顔と顔の距離が近いそのときに、妙に真剣な表情で話し出す。

「そうそう。誰かの横に座るのが気まずいのもわかるけど、
 立ってると疲れちゃうからさ。座ったほうがいいよ。どこでもいいから。」

「どこでも?」

「いや、もちろんこの席が一番いいけど。」

「え?」

「ここ。」

『自分の隣』とでも言いたげに私の席を指さし、
しれっとした顔で言う。

「座れてよかったね。」


なんだその言い方は。

別に座りたかったわけじゃない。

でも私はこうして窓際にいて、
立ちあがって出ようにもこいつがどいてくんなきゃでられない。


「大丈夫、もうすぐどくから。」

髪をなでられた。

そして突然目の前が暗くなる。
すっと立ちあがった男の影で、バスの蛍光灯がさえぎられる。

「もうすぐ。」

やっぱいい。どかなくてもいい。





3年前からずっと
ゆれるバスで無理して立っていた。
他の誰かの隣に座るのも、座られるのも嫌だった。



3年前、バスを待っていた。
隣に座るはずだったバス。


来なくて、違うバスに乗った。
それでも、待っていた。
バスに乗って、バスがくるのを待っていた。


ありがちな、すれ違いってやつで、
一生会えなくなった人がいた。


どんなに待ってもバスから降りなきゃ違うバスには乗れないし、
降りたところで、もうそのバスには乗れないのに。




駅が近づくアナウンスが流れて、
私は時計代わりにしかならない携帯をバッグにいれ、
マフラーを首に巻き、降りる仕度をした。

バスが完全に止まり、徐々に立ちがる乗客の先に、
もういちどその姿を探してしまったけれど、
いるわけがなくて、


だから、バスを降りることにした。



雪が降っていて、鼻が隠れるまでマフラーを巻いた。

泣いてもわからないように、そうすることにした。
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by dasein100-1 | 2006-10-19 02:22 | 049 バス待ち