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コンクリートと水槽の隙間





沈み込むように濃くて、
リアルで、
体中にまとわりつくような夢を見ていた。
目が覚めたら水槽のアクリル盤の上に寝ていた。


誰にいつこんなことをされたのかわからないが、
脳に2本の電極が刺さっている。
でも気分は思うほど悪くない。


実験台のマウスに同情するのは筋違いだということを知った。
麻酔から醒めたら実験台の上にいて、
人間達に思うように捌かれてしまうのは、
案外こんな風に落ち着いた気分なのかもしれない。



森の中のごとく穏やかな気分だ。
でも、なぜここにいるのかはまるでわからない。

普通に食事をして、普通に起きて、寝る。

そういう当然だと思っていた暮らしをしていたのは、
数十年前のような気もするし、
昨日のような気もしている。
時間の数え方はもうわからなくなってしまった。


水槽の上での目覚めは、
ぬくぬくとした布団の中での、怠惰で緩慢なものではなく、
嘘がばれたときのような、
気まずいけれど罪悪感から一気に解放されたような目覚めだった。

ガラスの感触が背中に貼り付いていた。

身体が痛さを感じないほどに冷えていた。
その冷たさは、肌に密着したガラスの下に満たされた液体の温度だった。

首をまわすことすらできない。
冷却保存されているような感覚だ。


脳に電極が刺さっている、というのも、
本当のところただの推測だ。
頭の上のほうでにピリピリとした2点の刺激を感じていて、
自分の頭に2本の電極が刺さっている姿を想像した。

水槽のアクリル盤の上に寝ている、というのも、
本当のところただの推測だ。
耳のそばで微かに泡の音が聞こえていた。
背中がひんやりと冷たかった。
だから、水槽だと思った。



そうだな。
背中の下の水槽には、
2mほどのアロワナが、ブラックライトを浴びて優雅に泳いでいるのかもしれない。
背中の下の水槽には、
無数のピラニアが腹を空かせていて、アクリル板の上に載っているこの身体を狙っているのかもしれない。
背中の下の水槽には、
さらにその下に水槽があって、さらにその下にも水槽があって、さらに、限りなく、水槽はあって、
高層ビルほど積み重なった水槽の段上に僕は寝かされているのかもしれない。


妄想に飽きた。
耳の側で微かに泡の音が聞こえている。




眼球だけをぐるぐると動かして天井を観察した。
暗い灰色のコンクリート。
ところどころが欠けていて、鉄骨が剥きだしになっていた。
相当広い部屋なのだろう。この状態では四隅が見えない。
コンクリートとコンクリートの境界線は、雨漏りをしているかのように湿っていた。
無機質な部屋だ。

欠けて剥きだしになった部分から、
コンクリートの中に這う鉄骨の全体像を想像してみた。


そうだな。
案外、鉄骨には意思があって、
人にばれない程度にコンクリを液状化させ、
自由気ままに折れ曲がり、ランダムに天井の中を這っているのかもしれない。
そこには鉄骨の文化があり、経済があり、思想がある。
何十年という年月を経て建造物が壊れるのは、
朽ちるからではなく、
鉄骨の政治の問題であって、例えばテロが勃発して、
その社会のバランスを崩してビルを壊滅させるのかもしれない。



妄想に飽きた。
耳の側で微かに泡の音が聞こえている。





目を閉じた。





コンクリート【concrete 混凝土】
1.砂、砂利、水などをセメントで固めた人造石。
2.具体的、具象的なさまを指す。


辞書の一節が脳裏をよぎった。
言語が音のように、ふと浮かんで流れて消えた。




耳の側で微かに泡の音が聞こえている。
その泡の音に混ざって、
カチャリというドアの開く音がした。



目を開けて、眼球をぐるぐると動かしてみたが、
見えるのは広いコンクリートの天井だけで、
人の気配はない。
今この視界に入っているのは


1.砂、砂利、水などをセメントで固めた人造石。


そうじゃない。
目を閉じた。
泡の音が聞こえる。
コンクリートと水槽に挟まれたここはどこだろう。


2.具体的、具象的な様



答えが音のように、ふと浮かんで流れて消えた。


目をあけると、
天井では鉄骨が液状化したコンクリートの中を氾濫していた。


なるほど。
コンクリート【concrete 混凝土】ね。
今この視界に入っているのは、メタファーだ。
具体的、具象的な様をしめすもの。



つまりここは、
コンクリートと水槽に挟まれたこの場所は、
『現実と非現実の隙間』だ。



思い出した。

ある夏の日に、
アスファルトが液状化して、
景色が歪んで、
地面に沈んだことがある。

そんな風にして落ちてきたのが、ここだった。





身体は微塵も動かなくて、
振り返って『非現実』を見ることはできなかった。



泡の音に混ざって、
耳の側でカチャリというドアの閉じる音がした。
人の気配は無く、
ただ視界には液状化したコンクリートしかなくて、
なぜだか急に途方もなく寂しくなった。




全ての音は脳に刺さった電極から流れ、
知覚していることを悟った。






あぁ。そうか。

コンクリートの下、水槽の上。
その部屋の中にいるというのは大きな勘違いだ。




骨という骨が、液状化した体内を自由気ままに這っている。
体内を満たす水が、コポコポと音をたてている。
この意思はその中に在る。



そうだな。つまり。

コンクリートであり、
水槽であり、
無機質な部屋であるのは、
この身体だ。



孤独で、

なぜだか急に途方もなく寂しくなった。









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by dasein100-1 | 2006-05-01 00:26 | 040 コンクリートと水槽の隙間